第二話『天命を待つ(萩城)』
矢野 隆Takashi Yano
「防長二国三十六万石などという捨扶持(すてぶち)とともに、瀬戸内から遠く離れたこの地に押し込められ、牙を抜かれてもなお、御主は満ち足りておると申すか。御主はそれで良かろう。夜の務め無き時は、堀を越え、城下へ戻る。しかし儂はそうは行かぬ。この海上に浮かぶ牢獄のごとき城で、己が科人であることを毎夜思い知らされるのじゃ。昼、御主等に囲まれておる時は良い。が、こうして夜一人になると、どうにもならぬ。この冷たき牢のなかで、震えて眠るのは耐えられぬのじゃ」
「と、殿……」
基直の若く頑強な肩が震えている。
明瞭な形を持った怒りは、言葉となって吉元の口から一気に吐きだされた。目の前の若者に対しての怒りではない。現状に対する怒りだ。徳川によって苦汁を舐めさせられ続ける毛利家の無念による怒りだ。
毛利は徳川の犬ではない。
長府毛利家の嫡男(ちゃくなん)でありながら、宗家の主となり、萩の城に入って以来、吉元の心のなかには暗い想いが常に居座っている。
太平の世で、家臣たちがすっかり忘れてしまっている暗き想いだ。
しかし……。
目の前の若者に浴びせかけてどうにかなるような代物ではないのである。
「無用なことを申した。下がれ。今宵のことはすべて忘れろ。良いな」
「はっ」
小さな声をひとつ吐いてから、部屋を後にしようとする。
「基直」
襖に手をかけた近習の名を呼ぶ。すると若者は、唐紙の前で膝をすべらせ、ふたたび吉元に頭を下げた。
「儂は良き主であるか」
「愚問にござりまする」
そう言って顔を上げた基直の目が、吉元にむけられている。今にも泣きそうなほどに、瞳に涙を溜めながら、主を睨んでいた。無礼を承知の言葉は、気弱になっている主を叱咤するための覚悟のひと言であったのか。それとも若さ故の熱き純心のなせる業であったのか。いずれにしても、基直の凄烈な忠心に間違いはなかった。
「許せ」
基直から目を背け、吉元は言った。
「そ、某の方こそ……」
それ以上言葉にならないと言った様子で、基直が深々と頭を下げた。
「もう良い。行け」
「ははっ」
廊下へと出た基直が唐紙を閉じる瞬間、頬が輝いたように見えた。一人になり、静けさがふたたび吉元を襲う。
「なにが大名ぞ」
もう一度言ってから、吉元は明かりを吹き消し床に躰(からだ)を投げだす。
心中の焔は、消えはしなかった。
- プロフィール
-
矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。