よみもの・連載

城物語

第二話『天命を待つ(萩城)』

矢野 隆Takashi Yano

        *

「山県周南(やまがたしゅうなん)にござりまする」
 そう言って頭を下げた男の青ざめた顔が、吉元に正対する。そして、そのまま動かなくなった。背筋を伸ばしたまま固まってしまったかのように、周南と名乗った男は、吉元を正視したまま微動だにしない。齢(よわい)三十一。九つも年下だ。しかしそんなことを忘れさせてしまうほどに、目の前の男の総身からは、吉元を臆させるほどの覇気が満ち溢れていた。思わず逸らしたくなる目を、爛々(らんらん)と光り輝く瞳に定めたまま、腹に気を込める。
 吉元の私室に呼んだ。二人の他に人はいない。
「儂がまだ右田にいた頃、御主の父は儂に仕えておった」
 周南の父である良斎は、京の伊藤担庵(いとうたんあん)や江戸の林鳳岡(はやしほうこう)などに学び、朱子学を修めた儒者である。
「吉元様は聡明な御方だと、父から幾度も聞いておりました」
 周南は、世辞を言うような男ではない。ひと目見た時に、それは解った。恐らく父から、本当にそう聞いていたのであろう。吉元は口許に微笑をたたえ、口を開いた。
「良斎に良う似ておる」
「似ておりまするか」
「姿形は勿論のこと、簡潔な話しぶりに、居住まい。なにもかもがな」
 父に似ていると言われて嬉しいのか、怒っているのか。固まったままの周南の顔からは、なにも読み取れない。感情の波が面に現れない所も、良斎にそっくりだった。
「荻生徂徠(おぎゅうそらい)の門下だそうだな」
 吉元の言葉に周南は顎だけでうなずき、唇のみを動かして言葉を吐く。
「父の許しを得、江戸に出て、師の元で三年ほど古文辞学(こぶんじがく)を学び申した」
「古文辞……」
「四書五経をただ修めるのではなく、往時の言葉、つまりは古文辞を理解することで、書に記された真の意味を知る。それが師の唱える古文辞学の根幹にござりまする」
 幕府の意向もあって諸国の武士たちに広まった朱子学は、孔孟の教えを諳(そら)んじるようになるまで覚えることが学の根本であった。
「朱子学ではいかんのか」
「言葉が変われば教えも変わりまする。時と国のへだたりを廃さねば、真の教えは理解できませぬ。その唯一の術は、今を生きる我等が、異国の昔に寄り添うのみ」
「そうか。朱子学は寄り添うておらぬと申すのだな。日ノ本の今の言葉を語る我等が、異国の昔の言葉をただ覚えんとしておるのみ。それではいかんというのが、其方(そのほう)の師の教えなのだな」
 周南の唇が奇妙に吊りあがった。どうやら笑っているらしい。
「やはり父の申した通りの御方でござりまするな」
 聡明であるということか。
 吉元は国主、周南は臣下だ。主を目の前にして堂々と評するとは、大した度胸である。言葉だけを取れば無礼に思えるが、この男から発せられると不思議と腹が立たない。むしろ聡明であると褒められ、悪い気がしなかった。
 背筋を伸ばして固まったまま、周南は吉元に問いかける。
「今度(こたび)は何故、私を御呼びになられたのでございましょう」
「防長三十六万石において、学第一の者は誰じゃと家臣に問うた。すると其方の名が真っ先に上がった」
 赤間関に滞在していた朝鮮通信使を相手に、この男は詩文の応酬を繰り広げた。あまりの周南の英邁さに韓人は多いに驚き、称賛を惜しまなかったという。その噂は瞬く間に拡がり、周南の学才は防長だけに留まらず、天下に鳴り響いていたのである。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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