よみもの・連載

城物語

第二話『天命を待つ(萩城)』

矢野 隆Takashi Yano

「あの男を見て、御主はどう思った」
「どうと申されましても」
「思ったことを言うて構わん」
 声に厳しさを絡め、不機嫌を装うと、基直は急かされるように想いを言葉にした。
「お、恐ろしそうな御方にござりました」
「恐ろしいか」
 さもありなんと思う。今にも折れそうなほど華奢なくせに、総身には覇気がみなぎり、前を見つめる瞳には尋常ならざる光が満ちている。武張った者が放つ殺気とは別の、異様な怖さが周南にはあった。
 率直な基直の感想に、吉元の口許が自然とほころぶ。
「あの男が学問を教授するとして、御主は学びたいか」
「機会があれば学びとうござります」
「恐ろしき男でもか」
「如何なる道においても、師は恐ろしき物であるかと」
「確かに御主の申す通りかもしれぬな」
 吉元は膝を打って笑う。それを見た基直の口許も綻(ほころ)んでいた。

        *

「明倫館(めいりんかん)」
 高々と掲げられた紙に書かれた太い文字を、吉元は読みあげた。
 萩城本丸大広間である。部屋の左右には重臣たちが並んでいた。けわしい顔をして皆が見つめる部屋の中央に、背筋を伸ばした周南が座している。その手には純白の紙が握られ、そこに明倫館という文字が大書してあった。
「人倫、上に明らかにして、小民、下に親しむ。孟子の言葉にござりまする」
「人倫、上に明らかにする。故に明倫館か」
「左様」
 答えた周南が、静かに紙をたたんで懐にしまった。
「良き名じゃ」
 吉元が言うと、家臣たちが追従するように、顎を上下させる。
 周南と私室で語らってから、二年の年月が経過しようとしていた。三ノ丸内には学舎も建てられはじめている。参勤で江戸に滞在している間に、塾頭を決めた。小倉尚斎(おぐらしょうさい)。吉元の師である林大学頭信篤に学んだ、有能な儒学者である。いわば吉元と尚斎は同門の間柄であった。尚斎は以前、萩の毛利家に仕えていたこともあり、吉元とも親交が深かった。幕府への建前上、朱子学を第一に置かねばならぬ。塾頭は当然、朱子学を修めた者でなくてはならなかった。
 じきに尚斎も、江戸を離れて萩へと来る。
 吉元の命を尽くす場が、形になりはじめていた。
「扶持五百石、書籍を購うため、さらに毎年五百石。それでやれるか」
「十分にござりまする」
 背を伸ばしたまま、周南が辞儀をした。その一切の淀みのない所作が、家臣たちの顔を引き締める。周南の全身から放たれる気迫が、太平にゆるみきった侍たちを萎縮させていた。学究の徒である周南に、武門の徒が臆している様は、いささか滑稽ではある。しかし、家臣たちを不甲斐ないと思うよりも、周南の毅然とした姿に、吉元は心地よさを感じていた。
 ここに堅実な儒学者である尚斎が加われば、怖い物はない。明倫館はきっと上手くゆく。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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