第二話『天命を待つ(萩城)』
矢野 隆Takashi Yano
「どうじゃ、御主はこの城をどう思う」
会うことのできぬ、遥か後代の毛利家の当主に語りかける。
吉元の想いを受け継ぎ、徳川を恨んでいるのか。それとも先祖の苦悩など綺麗さっぱり忘れ、徳川の犬に成り下がっているのか。
「果てしなきことよ」
行く末のことなど誰にも解らない。どれだけ無念を残そうとしたとしても、吉元がそれを見ることは叶わないのだ。人はいずれ死ぬ。その先のことを確認する術は、悲しいが人にはないのだ。
私怨を臣に託すことが、果たして君のすべきことにござりましょうや……。
周南の言葉が蘇る。
頬に涙がひとすじこぼれた。
「私怨を託すか」
見ることも叶わぬ者に、私怨を託してなんになるのか。己の妄執のために学を曲げ、人を曲げ、国を曲げる。それが吉元の命なのか。そんなことのために、吉元はこの国の主となったのか。
違う。
では吉元の命とは何処にあるのか。なにを履き違えているのか。
「みずから考え、気づき、学ぶことで、己が命を知る……」
周南が明倫館で育もうとしているのは、そういう者たちだ。
周南によって育てられる者たちは、己が足で歩くことのできる強い武士になるに違いない。幕府にも、毛利家にさえも頼らずに、みずからで考える。命を全うするために、己が足で歩む。この国にはこれから、そんな男たちが育ってゆく。
時が流れれば、天の命も変わって行くと周南は言った。いまは吉元の無念を知る者はいないが、時が流れればなにもかもが違ってゆくだろう。きっと解ってくれる者が現れるはずだ。
吉元は行く末を信じる。明倫館を作り、周南に家臣を託し、来たるべき天命を信じる。それこそが吉元の命なのだ。
「人事を尽くして天命を待つ」
時は自ずと訪れる。己はただ邁進するのみ。
「基直」
背後に声をかける。
「はっ」
「御主は二十六であったか」
「覚えておられたのですか」
基直の声が喜びで弾んでいる。
「今もまだ学びたいと思うておるか」
「えっ」
驚きの声を吐く基直を、肩越しに見る。
「某はもう」
「年など関係ない。学びたいと思うかどうかだ」
果たして生真面目なこの男は、周南に接した後、どのような命を見出すのだろうか。それは周南が与える物ではない。ましてや吉元が与えるような物でもないのだ。
「学びとうござりまする」
今度は素早く答えが返ってきた。
「儂が許す。通え」
「良いのですか」
「明倫館には英明なる師がおる。昼夜を惜しまず学んで、儂の元へ戻ってこい」
「殿……」
窓から差し込む月明かりが、基直の頬に輝く物を照らす。
喜びを満面に湛えた基直の姿が、吉元の迷いを掻き消してゆく。
「ふたたび儂の元に戻ってきた時は、もそっと気の利いた言葉を吐くようになっておれよ」
「ははっ」
額が床に付くほどに、基直が頭を下げる。
「基直よ。励め」
「精進いたしまする」
そう言って吉元を見上げた基直の顔は、青白き月明かりに照らされてもなお、紅く染まっていた。
- プロフィール
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矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。