よみもの・連載

城物語

第五話『士道の行く末(五稜郭)』

矢野 隆Takashi Yano

 これほど熱くなったのは、いつ以来か。
 鳥羽伏見……。
 いや、もっと前か。
 あまりにも色々なことがあり過ぎて、うまく思い出せない。が、心の奥に士道という言葉の輪郭がおぼろげながら、浮かびあがっているような気がする。
 歳三は焼けた城に入った。そして、ひとまず館城と江差(えさし)はそのままにして、福山の領民たちを安堵させるため、仮の裁判所を作ることにした。
「よくぞこれほど短期間に、福山を手に入れたものだ。榎本殿も喜んでおられるぞ」
 箱館から駆けつけてきた大鳥が、長く伸びた髭を機嫌良く揺らして言うのを、歳三は福山城の焼け残った屋敷のなかで聞いた。
「私は榎本殿に、福山の仮総督を命じられた。館城は箱館より一聯隊(いちれんたい)二百を差し向ける。其方(そのほう)らは、江差へと向かってほしい」
 申し訳なさそうに上目遣いになりながら、大鳥が言う。
 はなから肩書など気にしていない。大鳥が仮総督を務めるのならば、それが一番良いと思う。
「江差だな。承知した」
「行ってくれるか」
 安堵したように目を大きく見開いて、大鳥が上擦った声を吐いた。
「松前藩を追い払えば、蝦夷島は我等の物だ。あと少し、あと少しの辛抱だ。頑張ってくれ参謀」
 大鳥が身を乗り出して、歳三の肩をつかんだ。目一杯揺すっているのだろうが、歳三の頑強な躰はささやかに前後に振れるだけであった。
 十一月十二日、土方は額兵隊、衝鋒隊(しょうほうたい)、彰義隊らを率いて、福山を出る。
 翌日、江差へと向かう途上にある原口で、額兵隊の隊士十数名が腹痛を訴え、食い物を吐くという騒ぎが起きる。敵の間者が毒を入れたらしいが、結局下手人は捕まらなかった。医官の必死の看病によって、翌朝には皆、回復した。
 歳三は原口から江差へと北進。大滝の地で松前藩兵と激突し、これに勝利する。
 その頃、箱館を出た榎本の乗る開陽が、江差に到着した。十五日の夜明けとともに、江差の砲台に向けて砲撃を開始する。しかし松前藩兵の姿が見えず、榎本は江差に上陸。夜のうちに敵は、江差を捨てて熊石へと逃げ去っていた。無傷のまま江差の砲台と陣営を手に入れた榎本は、北上してきた歳三らと合流した。
 箱館から江差までは十九里あまり。日本橋から東海道を上れば小田原の手前あたりまで辿り着く。これほどの道のりを経ても、蝦夷島の南の端を、わずかに進んだ程度であるという。いったいどれほどの広さが、この島にはあるのか。歳三には見当もつかない。
「お疲れだったね」
 柔和な笑みを浮かべながら、榎本はみずからの陣屋に、歳三を迎え入れた。
 すでに夕暮れ時は過ぎ、日は海に没している。
「疲れてなどいませんよ」
 異国流の挨拶だといって歳三の手を握りしめる榎本に、冷淡な声で嘘を吐いた。
 疲れている。
 戦ではなく、すべてに……。
 福山城を攻めていた頃には、あれほど熱かった躰が、すっかり冷めきっていた。おぼろげに見え始めていた士道も、雲散霧消してしまっている。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

Back number