よみもの・連載

城物語

第五話『士道の行く末(五稜郭)』

矢野 隆Takashi Yano

 歳三は肩越しに榎本を見た。弱っているなどと言った榎本のほうこそ、肩をがっくりと落とし気力を失っている。
「戻るぞ」
 うなだれる榎本に声をかける。ぞんざいな言葉を浴びせかけられ、榎本が目を白黒させた。構わず歳三は続ける。
「箱館に戻るぞ。戦いはまだ終わっちゃいねぇ」
 己に言い聞かせていた。
 松前藩を退けたが、このまま新政府軍が黙っているはずがない。必ず敵は来る。戦は終わっていないのだ。
「土方君」
 顔を上げた榎本の手をつかむ。
「俺たちは勝ったんだ榎本さん」
「そうか……。私たちは勝ったのだな」
「そうだ」
 明治元年十一月二十七日、榎本と土方は箱館への帰路に就いた。

 箱館に戻った榎本は、士官以上の者を対象に、入れ札(選挙)を行った。
 その結果、蝦夷島総裁、榎本釜次郎をはじめとした各職の人事が決定したのである。
 陸軍奉行並。それが歳三に与えられた新たな役職であった。陸軍奉行となった大鳥の下に位置する陸軍第二の地位である。
「本来なら福山、江差攻略の立役者である君が、陸軍奉行になるのが相応(ふさわ)しいと思うのだが……。入れ札だから、勘弁してくれ」
 五稜郭の奉行所内に与えられたみずからの居室で、大鳥が申し訳なさそうに言った。
 歳三は口許(くちもと)に微笑をたたえて、首を横に振る。
「気にするな。俺なんかより、大鳥殿のほうが奉行に相応しい」
「そう言ってくれると、私としても有難い」
 大鳥が頬を強張らせながら言った。
 肩書で戦をするわけではないということを、歳三は知っている。偉くなれば偉くなるほど、戦場では躰が重くなってゆく。みずからの死が及ぼす影響は大きくなり、勝敗が肩にのしかかってくる。自分の意思で刀を振るうことができない不便さは、耐え難き苦痛であった。
 重い荷を背負っている。
 だから疲れた。
 もう二度と、武州の薬屋の倅(せがれ)であった頃のような気ままな喧嘩はできないのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。
「土方殿……」
 沈鬱な想いにさいなまれる歳三よりも気鬱な声を、大鳥が吐いた。無言のまま目を向けると、陸軍奉行が独り言のようにつぶやく。
「薩長はこのまま黙っていると思うか」
 そんなことは決してない。そう歳三が答えるよりも早く、大鳥が問いを重ねる。
「このまま我等の蝦夷島開拓を認めてくれると思うか」
「どうした。幾度敵が来ても討ち払い、我等の国を認めさせてやるんじゃなかったのか」
 歳三の問いに、大鳥が髭におおわれた青紫色の唇を弱々しく揺らす。
「相手は帝を頂としたこの国自身だ。立ち向かう我等は三千人あまり……。どれだけ討ち払えば、この島は我等の物になるのか」
 理想に燃えていた頃には気にならなかった現実が間近に迫り、大鳥は今さらながら恐れているのだ。頭でばかり考えているから、こういうことになる。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

Back number