よみもの・連載

城物語

第九話『政道は潰えず(高知城)』

矢野 隆Takashi Yano

「そいだけじゃないがじゃ」
 小南が顔を寄せてくる。
「越前の松平春嶽公が酒席で、容堂様に言うたがじゃ。土佐ん国許には吉田東洋ちゅう傑物がおるらしいが土佐で使わんのなら、儂が貰っても良いかと」
「春嶽公が」
「儂も聞いちょったから間違いないき。春嶽公からそう言われて、容堂様はこう答えたがじゃ」
「なんと」
「東洋は儂ん大事な懐刀じゃき、御譲りするわけにはいかんとな」
「容堂様が」
 胸の奥から大波が迫(せ)り上がってくる。腹に力を込めて、それを喉仏の下でなんとか押し留め、東洋はふたたび頭を下げた。
「儂はやるきに見ちょれよ小南」
「おまんが一度動きだしたら止まらんことくらい、解っちょる」
 懐刀……。
 容堂の言葉が東洋の腹を括(くく)らせた。

 東洋は仕置役として復命した。
 務めを無事にやり遂げ、江戸に戻った小南を容堂は褒め、三ッ柏の定紋が入った緋羅紗の陣羽織にみずから“赤心報国”の四字を墨書して与えたという。
 仕置役として東洋が参政に復帰して間もなく、江戸では将軍後継を巡る争いに急激な進展があった。
 紀州家徳川慶福派であった彦根の井伊直弼が大老に任じられたのである。大老となった井伊直弼は、勅許を求めず独断で日米修好通商条約を調印。そのすぐ後には、慶福を家定の後嗣とすることを発表する。
 当然これに水戸の斉昭は憤慨した。登城を命じられていないにもかかわらず無断で登城し、井伊直弼を詰問。ともに登城した越前の松平春嶽、彼等が詰問した後に同じく直弼を問い詰めた斉昭の子、一橋慶喜らはともに謹慎を命じられた。これを機に一橋派への弾圧が始まる。弾圧は一橋派だけに留まらず、勤王思想を持つ各地の武士にも波及。長州の吉田松陰(よしだしょういん)らが獄に繋がれる事態となった。
 井伊直弼の弾圧は慶喜を推していた容堂にも迫る。事態が逼迫(ひっぱく)するなか、容堂は病気を理由に家督を養嗣子の鹿次郎に相続させることにした。ここに山内家十六代山内豊範(とよのり)が誕生する。容堂はこれを機に、府外の品川鮫洲(さめず)に居を移したが、隠居しただけでは許されず、幕府から慎みを言い渡され接客、交通の制約を受けることになった。
 江戸と高知を往復し、容堂の罪科軽減と相続の手続きに奔走した東洋は、土佐に戻り、品川から出ることが許されない容堂に代わって国政改革に邁進する。
 豊範はまだ十五と若く、その実父である豊資が国主であったのはもはや三代も前のこと。土佐の者が主と認める容堂は品川から出られず、政務の責は自然と東洋の双肩にかかることとなった。東洋はまず人事によって豊資等、旧来の保守勢力の排除を進める。少林塾でみずから薫陶を与えた後藤(ごとう)象二郎、乾退助、福岡藤次ら新おこぜ組と呼ばれる面々を重職に抜擢してゆく。幡多郡(はたぐん)奉行に甥の後藤象二郎、高岡郡(たかおかぐん)奉行に福岡藤次、免奉行に乾退助と、まだ二十をいくらか越えただけの面々を、次々と要職に就けていった。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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