よみもの・連載

城物語

第九話『政道は潰えず(高知城)』

矢野 隆Takashi Yano

        *

 東洋が国政を改めれば改めるほど、城下には悪評が広がってゆく。
 欧米列強からの要求に負けた幕府が都に近い神戸を開港したことによって、大坂湾を警護する命が土佐に下った。このために東洋は住吉に陣営を築く。中央に御殿、その側に三十五間の平屋を建て大将以下、上士分の宿舎とし、御殿後方の七十二間の二階建てを郷士(ごうし)の宿舎とした。ここに三百人以上の者を置いて大坂湾警備に万全を期したのである。この支出は当然、山内家によって賄われた。しかも容堂の住む品川屋敷の改築という事態までもが出来(しゅったい)し、逼迫していた財政を立て直そうとしていた東洋を苦しめる。
 そんな最中、東洋は己が屋敷の新築を進めた。国の財政とみずからの出費は別儀であるのだが、城下の者たちはそうは思わなかった。数々の新たな政策を剛腕を振るい断行し、すでに反感を買っていた東洋の評判はのっぴきならない状況にまで下がっていた。数々の出費で国は貧しいというのに、東洋は私腹を肥やし広大な屋敷まで建てようとしている。城下の者たちが口にする悪口雑言はもちろん東洋の耳にまで入っていた。
 国内の不穏な情勢は下士たちの間にも決起の気風を育んだ。
 白札郷士である武市瑞山(たけちずいざん)を頭に据えた、土佐勤王党が結成された。下士や地方の庄屋の子息などが中心となって生まれた勤王党は、その名の通り、勤王によって攘夷を達成しようとする急進的な思想を核に据えていた。長年上士の強権に耐えてきた下士たちは、こぞって瑞山の元に集い、党員の数は結成時ですでに二百を越えた。
 尊王攘夷の大願を成就するためには、まず土佐一国を勤王によってまとめなければならない。そう考える瑞山たちの怒りの矛先は、国政を牛耳る東洋にむけられる。しかし有志による勤王党の結成を、東洋自身は頼もしいことだと思っていた。有能な才なら上士下士の別なく取り立てるべきだと思うからこそ、下士の弥太郎を少林塾に通わせ、長崎にもむかわせたし、家格の簡略化を推し進めもした。
 瑞山に会ってみたい……。
 そう思う東洋の願いは、すぐに叶(かな)えられた。瑞山が面会を求めてきたのである。私邸に現れた瑞山を、東洋はみずからの居室に招いた。
「この度は某(それがし)のごとき下士に目通りを御許しくだされたこと、有難き幸せに存じまする」
 そう言って深々と頭を下げる瑞山を、東洋は文机の脇から眺めていた。城内の執務用の部屋の書物や紙束の量からは考えられないほど、私邸の居室は簡素である。勤めに関わる物は私邸に持ち込まない。私邸は家族が暮らす家であった。東洋自身は寝るためだけに戻ってくるようなものだ。だから自然、無駄な物はひとつもない。
「武市瑞山でございます」
 名乗る若者の声に、静やかな才気が満ち溢れている。
「おまんのことはかねてより知っちゅう」
 東洋は穏やかに語りかける。
「城下に道場を営み、下士どもをようまとめとると聞いちょる。剣術修行のために江戸にも行っておったはずじゃ」
「はい」
「面(おもて)を上げよ」
 辞儀をしたままの瑞山に、東洋は笑い声交じりで言った。才気に満ちた若者と面会するのは心地良い。四十も半ばを過ぎた身には、ひりひりする若者の気が活力の糧となる。瑞山のような若者と話していると、己も負けてはならぬと思う。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

Back number