よみもの・連載

城物語

第九話『政道は潰えず(高知城)』

矢野 隆Takashi Yano

「二人やち誰か言うたがか」
 背後の男が言った。答えることができないでいると、そのまま押し倒された。正面にいた大柄な男である。雨に濡れた男の刀が、首に押し付けられた。
「お、ま、ん、ら……」
 話を聞かんか。
 言いたいことが声にならない。必死に首を斬ろうとする男の食い縛った歯の黄色さがやけに目につく。闇夜でこれなのだから昼間であれば、どれほどの汚さであろうか。そんなことが頭に浮かぶ。
 まだまだ道半ば。
 やるべきことは山ほどある。
 吉田東洋にしか成せぬことばかり。
 死ねぬ。
 が……。
 それでも東洋は死ぬ。
“男児欲報君恩重横屍沙場是善終”
 男児の死などこんなものだ。

 東洋は潰えた。

 吉田東洋の首は下古帯に包まれて持ち去られ、城西の町外れにある雁切橋(がんきりばし)の袂(たもと)に晒された。東洋の死を城下の民は喜んだ。
 その頃に詠(よ)まれた戯文がある。
“八日の登城下りがない 奥様息子は気が気でない 家来はもどって色がない どうやら途中でお首がない”
 不覚の死を遂げた場合、家名断絶という土佐の国法の元、吉田家は格式、知行ともに没収された。東洋の一子、源太郎は母とともに縁戚に預けられ、英学を修め、後に明治政府に仕える。外務省書記官にまで登り詰めたが辞官し、後藤象二郎とともに自由民権運動に邁進(まいしん)した。
 東洋の教え子である後藤象二郎、乾退助、福岡藤次の三人は参議となり、明治新政府の中枢を担う存在となる。同じく教え子であった岩崎弥太郎は、土佐商会を元とし三菱商事を立ち上げ、明治財界の巨人となった。
 東洋が切り開きみずから邁進した政道は彼の死後も潰えず、彼の弟子たちに受け継がれ、明治の世となっても続いたのである。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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