よみもの・連載

城物語

第十話『兄ゆえに弟ゆえに(富隈城)』

矢野 隆Takashi Yano

「わいはおいを殺そうち思うとるとか」
「事と次第によりもんど」
 白い髭の間に黄色い歯がのぞく。ねばついた唾に濡れた牙が、獲物を待ちかね妖しく光る。弟は下手な威(おど)しなど使わない。やると言ったらやる。この男が事と次第によると言うのなら、こちらの出方次第では、たとえ兄であろうと躊躇(ちゅうちょ)なく手にかけるということだ。そこまでの決意でこの城に来た弟の苦衷を、義久はあらためて思い知った。
「おいはわいを死なせとうなかったとじゃ」
「何度も言うとるが、そいならないごて兵ば送ってくれんかったとじゃ」
「戦わせんごとじゃ」
「話が堂々巡りになりよる」
 言って義弘が胡坐の膝に掌を置いて胸を張った。鼻から息を吸いこみ、口から思いきり吐き出す。
「どんなことがあっても戦に行く。儂はそう決めとった」
「何故じゃ」
 簡潔な問いに、弟の顔が固まる。答えたくない理由があるのか、それとも急に頭のなかが真っ白になってしまったのか。とにかく弟は鼻の穴を大きく広げて口をへの字にしたまま動かなくなった。
「当主のおいに刃向ってまで、わいはないごて戦に行かないかんかったんじゃ。答えんか義弘」
「そいは」
 言い淀(よど)んでいる。
 弟の心を見透かすように、義久は言葉を投げた。
「わいは死ぬつもりやったとやろ」
 義弘は固まったまま右の眉尻だけを、一度小さく震わせた。幼い頃からの弟の癖である。図星を突かれると言葉に詰まり、右の眉尻だけを動かす。
「やっぱりか」
「なんが……」
「出兵を乞うて来た書を最初に受け取った時から、わいが死のうとしとるとは、おいにはわかっとったど」
 弟の抗弁をさえぎるように義久は言った。
 一段高くなった上座の縁ぎりぎりまで膝を滑らせ、みずから間合いを詰めると、義久は弟の目をじっと見つめて乾いた唇を動かした。
「戦好きのわいのことじゃ。こん戦が終わればもう戦は起こらんやろうから、こん戦を死に場所と決めたんやなかとか。じゃから、ないがあっても戦に行かないかんとやったとじゃなかか」
 戦場(いくさば)で死にたいと願う気持ちは、義久には良くわからない。何度も戦場に出たが、嬉々(きき)として戦う弟のことが、義久には理解出来なかった。戦場で誰かに討たれて死ぬことのどこに意味があるのか。正直な所、正気ではないとさえ思う。討たれて死ぬということは、刃で傷つけられるということだ。死ぬ最後の最後まで、何者かが放つ刃(やいば)の餌食となって苦しまなければならないのである。そんな痛々しい死のどこに憧れるというのだろうか。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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