よみもの・連載

城物語

第十話『兄ゆえに弟ゆえに(富隈城)』

矢野 隆Takashi Yano

        *

 今日の義弘はいつもとは違う。
 上座をにらむ弟の目には、ぎらつくような殺気がよみがえっていた。
 どこで間違ったのかと、義久は己に問う。
 一度は、幼かった頃の弟に戻ったのだ。しかし会話を重ねていると突然、また鬼島津が義弘の魂に宿った。
 しくじったのがどこなのか、見当はついている。豊久を死なせたのは、義弘の所為だと突き放した時だ。
 賭けではあった。
 突き放すことで義弘の悔恨を誘い、目を覚まさせようと思ったのである。しかし裏目に出たようだ。
 いつもの義弘ならば、何事も己が責と認め腹を括(くく)る。しかし今日は腹に抱える想いが重すぎるのか、義久の言葉を認めたくなかったらしい。
 弟の腹の中を見極めきれなかった己の落ち度である。
 義久はみずからの非を素直に認めた。
 が……。
 それを口にすることはできなかった。言葉にして認めてしまえば、もう二度と真意は伝わらない。義久は決して、弟を見殺しにするつもりはなかった。ましてや義弘を慕う者たちを国から追い出し、まとめて始末するなど考えてもみなかったことだ。
 激する弟を前にして、義久は冷静さを失わぬよう穏やかな口調を保つ。
「落ち着かんか義弘。わいや豊久を見殺しにするとか少しも考えとらんど」
「嘘じゃ。兄者は儂が目障りじゃったとやろうが。自分よりも太閤の覚えが目出度い儂を嫌(きろ)うとったとじゃ。儂が薩摩を与えられたとが気に喰わんかったとやろうが」
「そげなことは……」
「そいだけじゃなか」
 弟の大きな鼻の穴から荒い息が噴き出す。
 反論しようにも矢継ぎ早に仕掛けて来る。これでは話にならない。義弘の想いを吐き出させようと思ってはいるが、こんな乱暴な展開は望んでいない。
 苛立ちが募る。
 怒鳴ってやりたくなるが、一度怒鳴ってしまえば兄弟の縁はそれっきりだ。床に零れ落ちた水は盆には返らない。
 鼻からゆっくりと息を吸い、ざわつく心を必死になだめる。そんな兄の気持ちなど露知らず、弟はみずからの感情をただただ吐き出し続ける。
「島津の次ん当主が儂の息子じゃということも、本心では認めとうはなかとじゃ」
「ないを言うとじゃ。わいの息子はおいの娘婿じゃなかか」
 義久の娘婿であるからこそ、忠恒は島津の跡取りなのだ。そのあたりの根本のところを弟は見失っている。
 いや……。
 見て見ぬふりをしているのか。
 いずれにせよ弟の心のなかに、これほど根深いわだかまりがあったことを、義久ははじめて知った。剛直で忠義に篤(あつ)い鬼島津の心の奥深くには、深い闇が渦巻いていたのだ。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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