よみもの・連載

城物語

第十話『兄ゆえに弟ゆえに(富隈城)』

矢野 隆Takashi Yano

 義弘には生まれた時から、義久がいた。
 兄がいる限り、己は島津の当主にはなりえない。義久が当主として生きるべく、学問や政の道を邁進(まいしん)すればするほど、義弘は兄とは違う道を突き進まざるを得なかったのではないか。義久はみずから好んで武よりも文を選んだ。しかし弟は兄の背中を見て、仕方無く武を選んだのかもしれない。本当は義弘も、兄のように生きたかったのではないのか。汗や血よりも書や墨跡を好んでいたのではないのか。
 そう思うと、義弘の本心をこれまで一度も聞いたことがなかったのに気づく。弟はみずから進んで武の道を極めんとしているとばかり思っていた。
 これまでの弟への想いは、すべて間違いだったのか。
 そう考えると、太閤との繋がりにしても無念であっただろう。当主である兄よりも格段に太閤の覚えが目出度く、上方では島津の当主同然に扱われていたのだ。島津に対する太閤の御朱印状は、義弘に出されていたのである。上方では間違いなく、義弘こそが島津の当主であった。
 しかし国許では違う。
 島津の武士たちは、誰一人として義弘を当主だとは思っていなかった。その武勇に皆が憧れ、慕いもしたが、それでも島津の当主は義久なのである。
 その無念が、兄に対する鬱屈となったのではないか。
 太閤により薩摩を与えられ、己が子を島津家次期当主とし、兄を隠居同然に追い込んだことに、義弘は義久自身よりもこだわっていたのだ。そう考えると、今日の弟の激昂(げきこう)も無理からぬことと思う。
「兄者にとって儂は目の上のたんこぶやったとじゃ」
 互いに老いた。
 あとどれだけの生が二人に残されているだろうか。ここで歩み寄れなければ、ふたたび相容れることはない。
 義久は腹を決めた。
 腰を浮かせ、膝をゆるゆると滑らせ上座を降りる。とつぜんの兄の行動に、弟が拳を床に突けたまま身を固くした。その眼前まで進み、義久は真正面から義弘を見据える。
「わいのことを邪魔じゃと思うたことは一度もなかぞ。ましてや死ねなどと思う訳がなかろうが」
「じゃっどん」
「まぁ聞け義弘」
 今度はこちらから機先を制する。
「わいの想いは良うわかった。わいがどんなことを思うて、鬼島津と呼ばれとったのか。どんな想いで島津を背負っとったとか。おいはわいのことを、こいまで見誤っとったごたるな」
「急になんじゃ」
 弟が床から拳を離し、そっぽをむく。義久は弟の四角い左の顎を見つめながら、言葉を継いだ。
「おいはな義弘。こいまでわいが好んで武の道を極めようとしちょったと思うとった」
「なんば言いだすとか。儂はそげな話がしたいとじゃなか」
「聞け」
 義久も薩摩の武士である。隼人である。一度腹を決めたら、もう迷わない。
「わいは本当はおいのように生きたかったとじゃなかとか」
「なんじゃそいは。兄者んごたる生き方なぞしとうはなか。儂は政よりも戦が好きじゃ。じゃから戦場で死のうと思うたとじゃ」
「そいは、おいがおったからじゃなかか」
 義久は淀みなく声を発した。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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