よみもの・連載

城物語

第十話『兄ゆえに弟ゆえに(富隈城)』

矢野 隆Takashi Yano

        *

 どこまで無垢なのか……。
 童のごとく純真な義弘に、義久はあらためて驚いていた。
 弟の言葉に裏はないのだ。
 兵を送らなかった兄に対して、素直な怒りをぶつけているだけなのである。そして、みずからが太閤に重用され、上方での立場が兄よりも上であることを、本心から後ろめたいと思っているのだ。
 人はある程度の歳になれば、表裏を持つ。それは己を守るため、仕方の無いことだ。本心だけを言葉や行動に顕わして生きていけるほど、誰も強くはない。己を、そして他者を傷付けないために本心を隠し、思ってもみない言葉を吐く。そうやって人の和を守る。それが大人になるということなのだ。
 だから義久は道理として考えるよりも先に、相手の裏を読む。それは最早、癖などという生半可な呼び方で片付けられるものではない。人を見る時、言葉を交わす時、その全てに相手の裏を見ようとする。
 そこに本心が隠れているからだ。相手が本当はどう思っているのだろうか。どうすれば、みずからを利するような関係を築けるだろうか。相手の裏に潜む本心を知る事こそ、政の神髄であると義久は考える。
 しかし……。
 弟にはそんな面倒なものは、はじめから無いのだ。
 わかっていた。わかっていたはずなのだが、長い間に出来た溝が弟の生来の気性を忘れさせていた。
 全ては本心なのだ。
 小細工はない。
 そう考えると、なにもかもが面倒になった。
 相手に裏を読まれまいと己を取り繕うことも、言葉に偽りを仕込み他者を操ろうとすることも、駆け引きも計算も、これまで義久が他者と相対する時に行ってきたあらゆることが、義弘との対面に際しては面倒極まりない事柄であることに気付いた。
 気が楽になった。
 いつ以来だろうか。これほど気楽な心持ちになったのは。島津家当主、島津義久ではない。ただの義久だ。幼い頃のように、なにも考えず弟と相対すれば良い。
 そうすれば……。
 吐き出す言葉も想いもおのずと違ったものになる。
「義弘」
「なんじゃ」
 そっぽを向いたままの弟に対し、義久は深々と頭を下げた。兄の心境の変化を鋭い勘働きで悟った義弘が、尻で床を滑って後ずさる。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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