よみもの・連載

城物語

第十話『兄ゆえに弟ゆえに(富隈城)』

矢野 隆Takashi Yano

        *

「儂がはじめた戦じゃ。最後までしっかりと始末をつけもんそ」
 刃向った島津を徳川は決してそのままにしてはおかないだろう。
 戦の始末はまだ終わっていないのだ。
「そいが終わったら、儂は隠居すっで兄者」
 今度の戦は島津のものではない。
 義弘の戦だったのだ。
 兄や息子を巻き込むことはない。
「こいが最後の戦ちいうことか義弘」
「そうじゃ」
 肩に触れた兄の手を静かに払い、義弘は笑う。
「今度のことは儂一人でやったことじゃ。兄者や忠恒は儂を止めた。島津は兵を上方に送っとらんし、儂の書状に返事も出しとらん。はじめから家康に刃向うつもりはなかったと言って押し切れば、なんとかなっど」
「そいを、わいがやっとか」
「儂以外にできん役目じゃ」
 義弘は胸を張る。
「関ヶ原での儂ん姿は、家康の目にしっかりと焼き付いとる。兄者は恭順の意を示しながら、そいでも家康が許さんという時は、島津は戦うち態度を見せるとじゃ。そいだけで良か。交渉は儂がやる。徳川は薩摩を、島津を恐れとる。必ず乗り切れるはずじゃ」
「義弘」
 六十余年の兄への想いを綺麗さっぱり吐き出し清々した。義弘の心には、もはや一片の黒雲もない。
「こいが終われば、こん国から戦はなくなる。もう儂ん出番はなか。じゃっどん」
 一気に間合いを詰め、兄の肩に手を置き、義弘は悪辣な笑みを口許に湛(たた)えた。
「儂ん力が必要な時はいつでん呼んでたもんせ。どげんか大軍が攻めてこようと、鬼島津が引き受けもんそ。太閤ん時ごたるみじめな想いはもう二度と、兄者にさせもはんで」
「良うわかった。もうなんも言わん。好きにせんか」
 溜息とともに兄がうなずく。
「こいまで好きにさせてもろうたとじゃ。最後まで好きにすっど」
 兄が乱暴に腕を振りあげ、己が肩から義弘の手を払った。
「そうと決まれば、こん話は終わりじゃ。今日はとことん付き合えよ義弘っ」
 そう言って兄が立ち上がり、天を仰いだ。
「酒じゃ酒っ。話は終わったど。皆、集まらんかっ」
 家臣たちが、主の言葉を聞いて我先にと広間に雪崩れ込む。
「お帰りなさいませ義弘さまぁっ」
 皆が義弘の帰還を喜んでいる。泣いている者も少なくない。
「帰ってきたどっ」
 腹の底から叫んだ。
 まだ戦は終わっていない。義弘は心を引き締める。あれほど重かった躰が、今は驚くほど軽かった。
 今宵は旨(うま)い酒が呑めそうだ。
「酒じゃ酒、酒ば持ってこんかっ」
 宴は朝まで続いた。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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