よみもの・連載

ポンコツ列伝

第一話 旗本たいこ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

「とは言え、俺は酒も呑(の)めんのだが」
 勤勉と倹約を強く奨励されてきたせいで、この歳になるまで嗜(たしな)まずにきた。一橋家中の朋友からも、つまらぬ堅物と見られている。だが致し方あるまい。家を継ぐまでは父に従わねばならぬし、継いだ頃にはこういう窮屈な生き方も、きっと自らのものになって――。
「おい、土肥」
 あれこれ頭に捏(こ)ね回していると、屋敷の門を出るところで後ろから大声が渡った。そう多くない友のひとり、前野権之進(まえのごんのしん)である。庄次郎は「やあ」と笑みを返した。
「どうした前野。嬉(うれ)しそうじゃないか」
「おう。俺の弟が、ようやく免許となったのでな」
 こちらは槍でなく、剣術である。家中の名人・入江達三郎(いりえたつさぶろう)には庄次郎も師事していた。ともあれ、めでたい話だ。
「良かったじゃないか」
「これから祝いに繰り出すのだが、おまえも来ないか」
「俺が呑めないのは知っているだろうに」
 苦笑して返す。と、前野がにやけ顔を寄せて耳元に囁(ささや)いた。
「酒宴は省いてもいい。吉原(よしわら)だ」
「はあ? よ、吉原だと?」
 幕府公認の遊里である。酒どころの話ではないと、つい素っ頓狂な声が出た。前野は泡を食って「馬鹿」とひと言、庄次郎の襟を摑(つか)んで引っ張った。武士であれ町人であれ、吉原で女郎を買うくらい珍しくもない。が、さすがに一橋屋敷の門前でする話ではなかった。
 門前からだいぶ右手へ離れた辺りまで行くと、庄次郎は前野の手を軽く振り払った。
「俺の親父が厳しいのは知っているだろう」
「厳しいのではなかろう。俺の親父がいつも言っているぞ。あれこそ『吝(しわ)ん坊の柿の種』だ、ってな」
 柿の種ほど無用のものさえ惜しむ男。その陰口は庄次郎の耳にも入っている。父を嘲られるのは腹立たしいが、反面、溜まった不平を代弁してもらったようで、どこか清々してもいた。
 とは言いつつ。
「いや……やはり駄目だ。俺は吉原になど行かんぞ」
「なら来なくて構わんが、少しばかり貸してくれんか。槍の月謝も貯まりきっておるのだろう」

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

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