よみもの・連載

ポンコツ列伝

第一話 旗本たいこ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

 二十七にもなって女を知らぬでは、嫁を取った時にどう扱って良いのかも分からぬだろう。おまえにとって学問にも等しいのだ、分かったら行って来いと尻を叩(たた)かれた。
「ただし、のめり込むなよ。まあ、おまえには分別(ぶんべつ)があるし、そこは心配しとらんがな」
「……分かりました。此度(こたび)限りです。二度としません」
 不承ぶしょうに頷くと、前野が「お」と目を輝かせた。
「おまえの叔父上は話の分かるお方だのう。そうと決まれば善は急げだ」
 喜び勇んで袖を引っ張る。庄次郎は仏頂面で重い足を運んだ。

   *

 遊びは此度限り。二度としない。
 そのつもりだったのに。半年が過ぎる頃には、遊里通いは当たり前になってしまった。
 庄次郎は酒を覚え、女の味を知った。今宵も馴染(なじ)みの女郎・愛里(あいさと)を侍らせ、酔った赤ら顔を晒(さら)している。吉原大門(おおもん)を入ってすぐ左手の江戸町(えどちょう)二丁目、表通りの大籬(おおまがき)・鶴泉楼(かくせんろう)の二階座敷であった。
 小見世ならいざ知らず、大見世の遊びに酒宴は付きものである。庄次郎は芸者や幇間(ほうかん)――たいこもちを呼び、賑々(にぎにぎ)しく騒ぐのが好みだった。
「清太(せいた)さん、いつもの頼むよ」
「待ってました、庄さんの隠し芸! それじゃあ三味線(しゃみ)を支度して、と」
 三味線を構えた羽織の男は、荻江流(おぎえりゅう)小唄の清太という幇間である。庄次郎より十ほど年嵩(としかさ)で、道楽の果てに身を持ち崩した幕臣であった。
 清太とは、前野に連れて来られた晩の宴席で知り合った。初めは「だらしない男だ」と胸中に蔑んでいた。だが元幕臣の強みか、或(ある)いは多くの客を相手にしてきた手練(てだれ)の技か、清太はこちらの堅い話にも易々(やすやす)と応じてきた。少しばかり感心して話を続けると、軽妙な相槌(あいづち)、あれこれの問い返しが入り、いつの間にか別の話題に変わっている。宴席は楽しげなものに包まれていた。
 席が冷えぬよう、流れる水の如(ごと)く喜楽に導く話芸。時折差し挟まれる小唄や踊り。思わず「馬鹿馬鹿しい」と噴き出してしまう芸の数々。庄次郎はたちまち清太を気に入って、以後、たびたび宴席に呼ぶようになった。
「さあて、いきますよ」

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

Back number