よみもの・連載

ポンコツ列伝

第一話 旗本たいこ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

「あ、ありがとう。ござい……ごぜえやす」
 聞き容(い)れられて、ぱっと顔が明るくなる。清太は「やれやれ」と苦笑した。
「それじゃあ、今日から荻江露八(ろはち)を名乗んなさい」
 荻江流小唄の家元・露友(ろゆう)から一文字をもらった名であった。
 清太が庄次郎の――露八の三味線を褒めたのは、ただの世辞ではなかったらしい。大柄な体に似合わず細く長い指、その器用さは、この道の者なら誰でもそれと見て取れる才なのだという。客として遊びつつ、自ら宴を盛り上げようとする人柄も申し分なし。大概は半年から数年ほど雑用をさせ、その間に芸人の天分があるかどうかを見極めるが、その必要もあるまい。清太はそう言って、露八に小唄や三味線、あれこれの踊りなどを習わせてくれた。
 露八にとっても、芸ごとは槍や剣以上に打ち込めるものであった。ものの三ヵ月で清太直伝の荻江節を覚え、吉原の宴席で好まれる潮来節(いたこぶし)も歌えるほどになっていた。
 明くる万延(まんえん)二年(一八六一)正月、荻江露八のお披露目となった。以後は師匠の清太に従い、あちこちの宴席に顔を出す。客であった頃に披露していた蟾蜍も、今では座興の一芸であった。
「こりゃあ、いい。まさに蟾蜍だ。不っ細工だねえ」
 大店(おおだな)の若旦那らしき客が、手を叩いて笑う。すると露八は蟾蜍をやめ、ふらりと立つ。
「娘 器量が世の華ならば たいこ醜男(ぶおとこ) 宴の華よ」
 潮来節の節回しに乗せて即興に歌い、ひらひらと踊る。客はなお喜び、祝儀を弾んでくれた。
 これぞ天与の道と心に噛み締め、露八は夜ごと客の心に火を灯(とも)し続けていった。
 万延二年が二月に文久(ぶんきゅう)と改元され、明くる文久二年(一八六二)の初夏四月を迎える。この頃には露八も一端(いっぱし)の幇間となり、師匠・清太とは別に宴席へ呼ばれ始めた。ようやく名も売れ、自らの口を賄えるようになってきた。
 しばらくすると、驚いたことに父から書状が届いた。検(あらた)めてみれば、勘当を解くゆえ小石川の屋敷に戻れと記されている。
「とは言え、だよ」
 家は弟の八十三郎が継ぐと決まった。家に戻ったとて部屋住みの穀潰(ごくつぶ)し、それよりは幇間として花の郭(くるわ)で生きてゆくのが性分である。
 しみじみと息を抜いて、書状を畳んだ。
 この話は断ろう。そのために、もう一度だけ土肥の家の敷居を跨(また)ぎ、父や弟に今生の別れを告げなければと、質素極まる懐かしい実家に戻った。

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

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