よみもの・連載

ポンコツ列伝

第一話 旗本たいこ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

「庄次郎様、良くぞお戻りくだされました」
 下働きの年寄りに迎えられて門をくぐる。父や弟はどこかと問えば、すぐに呼ぶので庭に回って欲しいと言われた。
「庭? どうしてだい」
 父の部屋でも、かつて自分が使っていた部屋でもない。何ゆえ庭になど。
「さ、さあ……。手前は、そのように仰せつかっただけで。詳しくは」
 分からない、と言う。だが年寄りの顔には確かな怯(おび)えがあった。知らないと答えるように言い含められたのだろう。
 客の思いを推し量り、座が冷えぬように盛り上げるのが幇間である。目つき顔つきから心を読めねば話にならない。
 だとすれば――父は、勘当を解くために呼んだのではない。何かしら叱責を加えるつもりなのだろう。やっと荻江露八の名も売れてきたというのに、かえってそれが仇(あだ)となったか。
「ああ……。門、閉めちまった」
 下働きが震えながら閂(かんぬき)を掛けている。慄(おのの)いた様子を見れば、父の下した断が如何に重いか分かろうというものだった。
 だが、これも我が生の定めか。観念して庭に進み、露八は「当たりだ」と溜息をついた。白無地の布が敷かれ、浅葱色(あさぎいろ)の小袖と袴(はかま)、三方(さんぽう)に置かれた匕首(あいくち)が支度されている。切腹の支度であった。
 仁王立ちに待っていた父に、ぺこりと頭を下げる。あまりにも平らかな声が向けられた。
「聞けば、たいこもちに身をやつしたそうな。どこまでも恥晒しな倅(せがれ)よ。土肥の家としては知らぬ顔を通すこともできようが、それでは一橋家にも祖先にも顔向けができぬ」
 だから。腹を切れ。せめて我が手で介錯(かいしゃく)してやる。父の目がそう語っていた。
 門が閉められたことを思えば、逃げようとしても無駄であろう。追い付かれ、父に後ろから斬り下げられるばかりだ。
「短い間でしたが、自分の好きに生きられました。満足です」
 一礼して死に装束を手に取った。庭を望む廊下には弟・八十三郎の姿があり、無念の涙を滴らせている。思えば兄弟は実に仲が良かった。父は弟にあまり小言を向けなかったが、それとて嫡男たる兄があればこそだと、弟は恩義に思ってきたのかも知れない。

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

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