よみもの・連載

ポンコツ列伝

第一話 旗本たいこ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

 たった一年半でも好きに生きられたのは、弟に窮屈なものを押し付けたからだ。八十三郎はこの先、かつての自分と同じ思いを持て余してゆくのだろう。それだけは本当に申し訳なく思えた。
「すまんな、八十三郎。さよならだ」
 いざ、くだらぬ生を絶つ時か。浅葱色に身を包んで腰を下ろし、三方から匕首を取って抜き払う。その時であった。
「待った! わしだ。入れてくれ。鉄次郎だ」
 門の外から慌てふためいた大声が届く。八十三郎が、仏を拝むような安堵(あんど)を浮かべた。家作の茗荷畑を世話してくれた鉄次郎には、父も大いに感謝している。叔父なら父を説き伏せ、思い止まらせてくれるはずだと、手を回していたのだろう。
 下働きの年寄りも、思いは八十三郎と同じだったか。すぐに門が開けられ、鉄次郎は転げるように庭へ進んで来た。
「半蔵殿、いやさ義兄者(あにじゃ)! 頼む。わしに介錯を」
 如何に不肖の子であれ、自らの手で首を落とすのは忍びなかったのだろう。父は「忝(かたじけな)い」と一礼して家伝の刀を差し出した。叔父はそれを受け取って露八の後ろに立つ。そして。
「やっ!」
 一刀の下に露八の髷(まげ)を斬り飛ばした。髪が、はらりと解(ほど)け落ちる。
「これにて土肥庄次郎は死んだ! 半蔵殿、八十三郎も。それで良いな」
 叔父の頓智(とんち)に苦い笑みが浮かび、思わず涙が滲(にじ)んだ。覚悟を決めたつもりだったが、やはり自分も命は惜しかったらしい。
 鉄次郎は露八の耳元に「すまなんだ」と囁き、髻(もとどり)の落ちた頭を丸め始めた。遊びを勧め、焚き付けた咎(とが)を思っているらしい。だが露八は、静かに「いいえ」と返した。
「叔父上は俺の分別を信じてくれたのに、あっさり裏切っちまった。勘当された時に、親父に言われたとおりだ。俺が悪いのですよ」
 全ての髪が剃り落とされ、土肥庄次郎という武士は死んだことにされた。もっとも一橋家中の子弟に槍を指南していた身、顔も姿も多くの者に知られている。土肥家と一橋家の体面を損なわぬよう、人目を避けて江戸を離れるべし――父と叔父の温情である。露八は二人に深く謝し、すぐに屋敷を去って夜陰に紛れた。

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

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