よみもの・連載

ポンコツ列伝

第一話 旗本たいこ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

「病人の前で宴の話とは呆(あき)れたものだ。が、確かに、治るまでただ待つのみではな。分かった。あまり幾度も金は使えんが、その時には賑(にぎ)やかしに来てくれ」
「へえ。それじゃあ、あっしは近くに安い宿でも取りまさあ。皆さんは下田の奉行所ですね」
「俺たちは奉行所だが、病人は百姓家の離れでも借りて養生させる」
「なら、あっし看病しましょうか? なぁに、そっちはロハで構やあしませんよ。さっきも言ったが、たいこは笑いしか売らねえんで」
 役人たちの中には麻疹に罹(かか)ったことのない者もいるらしく、この申し出は「ありがたい」と受け容れられた。
 以後、露八は病人の養生に付き添った。初めの約束どおり給金はない。だが飯は食わせてもらえたし、病人を看(み)ながら同じところに寝泊まりできるとあって、余計な金は出て行かずに済む。悪くない話ではあった。加えて二十日に一度の割で役人の宴席があり、そこで芸を披露して幾許(いくばく)かの祝儀も得られた。
 路銀を稼ぎながら、ひと月半ほど。この頃には麻疹を患った四人も本復した。面々は露八に感謝して親しんだが、中でも特に馬の合う男があった。名を榎本武揚(えのもとたけあき)といい、露八より三つ年下である。
「なあ露八さん。気ままな旅だって言ってたが、要するに行く当てがないんだろう?」
 麻疹で赤黒く爛(ただ)れていた顔も、治ってみれば中々の男前である。幾らか痩せた頬、目は切れ長で鋭い。その鋭い目を緩めて笑うと、何とも人好きのする面相であった。
「だったら、俺たちと一緒に長崎へ行かんか。あそこなら、たいこの稼ぎ口も多いぞ」
 咸臨丸の、元々の行き先は長崎であった。榎本を始めとする七人の若者が阿蘭陀(オランダ)に留学するらしく、その出航の地である。露八は「なるほど」と顔を綻ばせた。
「それも、いいかも知れやせん。最近じゃあ勤皇だの攘夷(じょうい)だので、稼ぐにしても京や大坂は物騒ですからね」
 長崎とて――と言うより国中が同じだが――物騒には違いない。それでも長崎には出島があって、長らく阿蘭陀と交わってきた。攘夷という麻疹の熱も、少しばかり軽いはずであった。
「じゃあ決まりだ。俺が阿蘭陀から帰ったら、必ず一席設けて露八さんを呼ぶからな」
 八月半ば、咸臨丸が下田から出航となる。露八は榎本の下人という扱いで共に乗り込み、見知らぬ地へと旅をした。
 長崎に到着すると、ほどなく留学の七人は阿蘭陀へと発(た)って行った。露八は出島に安い宿を取り、夜な夜な三味線を弾きながら町を流して、芸を売り歩くようになった。

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

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