よみもの・連載

ポンコツ列伝

第一話 旗本たいこ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

 そうした日々は二年近くも続く。しかし元治(げんじ)元年(一八六四)五月、榎本たちが帰国するより前に、露八は長崎を離れることとなった。どこでどう調べたのか分からないが、弟の八十三郎から書状が届いたためであった。
「父上が……死んだ?」
 先ごろ風邪をひき、こじらせて、ものの一ヵ月で逝ってしまったそうだ。疎ましく思っていた父であれ、この一報には少なからず心が揺れた。

   *

 仏壇を前に合掌する。父は既に位牌(いはい)となっていた。
「兄上が江戸を離れた頃より、めっきり老け込みましてな」
 抹香漂う中、八十三郎がしみじみと語った。父は、不肖の倅を追い払って安堵したという訳ではなかったらしい。弟の目には、常に背から寂寥(せきりょう)が滲んでいると見えたそうだ。
 末期の言葉は幾つかあったらしい。八十三郎には「家を頼む」と言い、また奢侈(しゃし)を慎むように繰り返したそうだ。そして――。
「最後に、兄上には知らせてやるな……と。ずっと気にかけておられたのでしょう」
 嗚呼(ああ)、と涙が溢(あふ)れた。自分は父の吝嗇を嫌い、息苦しさを覚えてきた。父はこの身の堕落を嘆き、一歩間違えば切腹せしめていたところだった。
 それでも親子なのだ。自らの死を教えるなという言葉には、縁を切った者だという諦めと同時に、好きに生きている倅を煩わせたくないという情の匂いがする。血の繋がりというものの、何と面倒なことだろう。
「なあ八十三郎。俺は、どうしたらいい」
「このまま土肥の家に戻り、一橋公に帰参なされませ。父上もお許しくだされましょう」
 荻江露八は、土肥庄次郎に戻った。
 少しして七月、幕府に長州(ちょうしゅう)征伐の勅が下る。征長の大将が禁裏御守衛総督・一橋慶喜(よしのぶ)であったため、庄次郎も従軍を命じられた。もっとも、これといった戦いは起きない。長州藩が三人の家老に詰め腹を切らせ、戦わずに恭順の姿勢を示したため、有耶無耶(うやむや)のうちに終わってしまった。
 二年後の慶応(けいおう)二年(一八六六)になると、再びの長州征伐が行なわれたが、庄次郎はこの戦(いくさ)には参陣を求められなかった。
 この征長では幾度かの交戦があり、幕府軍は敗戦を重ねた。長州藩は第一次の征長で軍兵を温存していたし、武備も士気も幕府軍より大いに優れていた。

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

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