よみもの・連載

ポンコツ列伝

第一話 旗本たいこ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

 そして苦戦の続く中、十四代将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)が薨去(こうきょ)する。これを口実に征長軍は撤退となり、幕府には一橋慶喜を将軍の後継に据える動きが活発になった。徳川宗家と一橋家の要職はそれに掛かりきりになって、家中の末端に目を向ける暇もなければ、下知を与えることもない。庄次郎は日々の無聊(ぶりょう)を持て余した。
 だから、なのだろう。またも悪い癖が顔を出した。一年半、慶応四年(一八六八)も松が取れた頃には――。
「庄さんも、お忙しい方でありいすねえ。私(あ)ちきのお馴染みさんになったと思ったら、たいこさんになって。たいこさんになったと思ったら、今度は江戸を離れなすって」
 吉原、鶴泉楼の二階。かつて馴染みであった女郎・愛里の座敷であった。
「で、江戸に帰って来たら庄さんに戻って」
「嫌か?」
 二人して横たわる布団の上、女の襟元から指を滑り込ませる。つんと上を向いた乳豆を転がせば、愛里が「あ」と甘い声を漏らした。
「まあ客でも、たいこでも構わんさ。庄次郎で遊びに来れば自分が楽しい。たいこの露八で来れば客が楽しんでくれて、こっちも嬉しくなる」
 遊里通いの金は、第一次征長の従軍に対して下されたものを細々と使っている。かつてのように芸者や幇間を挙げて騒ぐことはせず、弟の手前、朝帰りもしない。昼見世で小金を落とすくらいであった。
 それでも愛里は嫌な顔をしない。
「楽しいの、好きなんでありいすね。私(わ)っちは、庄さんには馴染みでいて欲しいけど」
 馬が合うのか、或いは商売と割り切っているのか、媚(こ)びる笑みであった。今でも青く剃り続けている庄次郎の頭を愛里の手がつるつると撫(な)でる。その手は頬から首、胸を伝い、腹へ、その下へ。巧みに動く指先に弄(もてあそ)ばれて、庄次郎の男が隆々と反り返った。
「ちょうだい」
 吐息に混ざった声の色香に酔い、女のものに自らを埋もれさせた。
 昼日中から女と交わって、新春の夕刻に小石川の屋敷へ帰る。門をくぐれば、玄関の前には八十三郎が立っていた。肩をいからせ、眦(まなじり)を吊(つ)り上げている。さすがに、ばつが悪い。
 この一年半、幕府は大揺れに揺れていた。一橋慶喜は徳川宗家を継いで十五代将軍となったが、隆盛顕著な長州藩、および長州と同盟した薩摩(さつま)藩に押されるばかりであった。

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

Back number