よみもの・連載

ポンコツ列伝

第一話 旗本たいこ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

「いかん、近すぎる」
 寛永寺近辺は高台で、砲台には向いていた。だが大砲は斜め上に向けて放ち、遠くの敵を叩くものである。高台の坂下に押し寄せた敵、斜め下には狙いが付けられない。
「糞(くそ)ったれ」
 前野が歯噛みして吐き捨てる。と、寄せ手から「放て」の声が上がり、小銃が斉射された。砲台の兵が二人、三人と斃(たお)れていった。
「いかん。退け、退け!」
 台場を守るのは難しいと、隊長の指示が飛ぶ。庄次郎は前野と共に坂道を上って北へ、寛永寺黒門まで後退した。この辺りは山王台(さんのうだい)と呼ばれる高台で、三橋よりもさらに高みから敵を見下ろせる。彰義隊はここに小銃の砲列を布(し)いて防戦に努めたが、武備に勝る敵軍の前には濁流に揉まれる木の葉にも等しい備えであった。
 敵軍の小銃が連射に連射を重ねる。土嚢(どのう)と逆茂木で固めた陣地から散発に撃ち返すも、次第にあちこちで血煙が舞い、多くの彰義隊士が骸(むくろ)に変えられていった。
 と、遠く向こうから、ドンと腹に響いた。
「伏せい!」
 兵隊組頭――八十三郎の切羽詰まった絶叫、間もなく山王台陣地が激しく揺れた。大地が捲(めく)れ上がり、天を衝(つ)いた土くれが雨となって頭上に降り注ぐ。備えの大砲も一門が壊され、三門が横倒しになっていた。
 音の出どころからすれば、今の弾は敵の本陣、広小路よりやや南の辺りから放たれたはずだ。四半里(一キロメートル)以上も飛んでいる。それでいてこの陣地を狙い撃つとは、砲術云々(うんぬん)の問題ではない。最新の火器が如何に優れているかの証左であった。
 彰義隊はなお抗戦したが、銃砲の戦いにおいて兵器の優劣は覆し難い。夕七つ(十六時)頃には寛永寺を捨て、退却を余儀なくされた。とは言え神田川や隅田川、中山道、日光街道などは新政府軍の兵に寸断されていて、北東、根岸の方面にしか退路はない。
「おい。まことに行くのか」
 共に逃げた前野は、根岸は危ないと眉をひそめた。そこにしか退路がない以上、待ち伏せして皆殺しにする肚(はら)だぞ、と。
「他へ行けば間違いなく捕まっちまう。まあ俺に任せておけ」
 庄次郎には、ひとつの腹案があった。新政府軍には武備と数こそあれ、網目の如く張り巡らされた江戸町の路地裏にまでは手を回せないはずだ。そうした路地を、庄次郎はあちこち知っていた。なぜなら上野は浅草の目と鼻の先、そして浅草、浅草寺の裏手には吉原がある。

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

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