よみもの・連載

ポンコツ列伝

第一話 旗本たいこ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

「この辺りの道を知るに於いて、薩摩如きに後れは取らんよ」
「胸を張るな。威張れる話ではないぞ」
 前野は呆れ顔だったが、他に打つ手もなしと庄次郎に従った。
 武家屋敷の間の細い路地を選び、夜の闇も味方に付ける。敵の目を盗んで東へ、東へ。浅草界隈(かいわい)に入ると、長屋と長屋の隙間を縫って浅草寺の裏手に至る。遊里を囲う二間(一間は約一・八メートル)のお歯黒堀に沿い、左側を回って北へ。突き当たりの日本堤を右手に折れ、吉原大門へと進めば、この華やかな町も今日ばかりは閑古鳥が鳴いていた。
「おい、開けてくれ。頼む。荻江露八だ」
 江戸町二丁目の鶴泉楼である。敗残の身である以上、土肥庄次郎を名乗るのは憚(はばか)られた。
 と、妓楼(ぎろう)の若い者が出て来て「おやまあ」と目を丸くする。
「どうしたんです、こんな時分に。もう引け四つも過ぎてんですけどね」
 吉原では、夜の遊びは暮れ六つ(十八時)から夜四つ(二十二時)までと決められている。もっとも、それでは短くしか遊べないため、夜九つ(零時)を「引け四つ」と言って誤魔化していた。引け四つを迎えると、新規の客は登楼できない。それは庄次郎も当然承知していた。だが、と青く剃られた頭を勢い良く下げる。
「この格好、見りゃ分からあな。上野のお山の戦争だよ。負けて逃げて来たんだ。何でも構わねえ、とにかく飯食わしてくれねえか」
 若い者は戸惑いながら「お待ちを」と返し、中に戻って行く。少しすると楼主が顔を出し、馴染みの愛里も二階から下りて来た。至近で戦があったせいだろう、この花魁(おいらん)にも客が付いていないようだ。
「話は聞きました。構いません、お上がんなさい。あんたとは、お客としても、たいことしても深い付き合いだ。見捨てたとあっちゃあ、江戸っ子の粋(いき)が廃(すた)りますからね」
 楼主は庄次郎の頼みを快く容れた。
「ねえ花魁。ちぃと汚れちまうだろうけど、座敷、貸してやっちゃあくれないかね。飯だの何だのは、俺が手ぇ回しとくから」
 肩越しに後ろを向き、楼主が問う。愛里も即座に「あい」と頷いた。
「他ならぬ庄さんのためなら、座敷の汚れくらい。女を上げる働きでありいす」
 庄次郎と前野は愛里の座敷に上がり、ようやくひと息ついた。
「驚いたな。こんなに顔が利くのか」
 煤(すす)で汚れた顔の中、前野が目を丸くする。庄次郎は自らを嘲るように鼻で笑った。

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

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