よみもの・連載

ポンコツ列伝

第一話 旗本たいこ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

 品川を出て七日、八月二十六日。咸臨丸は駿河湾に浮かんでいた。この辺りは新政府軍の手の内で、艦そのものを湊には入れられないが、何とか水だけは仕入れなければという話になった。庄次郎はこれに名乗りを上げ、他の数人と共に小船に移って湊に入った。
 あとは逃げるのみ。我が計成れりと、小唄でも捻(ひね)り出したい気分のところを、敵方に捕らわれてしまった。艦で宛がわれた着物を纏(まと)っていたのが、仇となった。
 半年余りが過ぎて、冬も越えた。のべつ幕なしに吹き込む風も、人心地が付くくらいになっている。そうした頃のことであった。
「土肥庄次郎。出ぇ」
 牢番が居丈高に呼び付ける。おや、と思って腰を上げ、檻(おり)の向こうに腰を低くする。
「へい、何でやしょ」
「何じゃ、われの話しようは。まるきり、たいこもちじゃのぉ」
 この訛(なま)りはどこの国か。何を言っているのか分かる辺り、少なくとも薩摩ではなかろう。ともあれ、噛み付いても良いことはない。そもそも噛み付くだけの意地など端(はな)から持ち合わせていないのだ。
「おや、こりゃまたお目が高い。如何にも如何にも、たいこの荻江露八でござんすよ」
「阿呆(あほ)なこと言いよんない。恩赦でお解き放ちじゃけえ、どこへでも往(い)ねや」
 かつて彰義隊に加わっていたとは言え、上野で瞬く間に蹴散らされて以後は、これといった戦に出ていない。元々が旗本の家柄だが、家禄(かろく)も少ない。そういう身をいつまでも牢に繋ぎ、粗末なものであれ、ただ飯を食わせ続ける訳にはいかないという。庄次郎は「うお」と息を呑んだ。牢番の木っ端役人が、観音か地蔵に思えた。
 明治二年(一九六九)三月、庄次郎は釈放された。咸臨丸から共に小船に乗った面々も、同じ日に恩赦を受けた。それらは武士をやめ、刀を鍬(くわ)に持ち替えて、この駿河で畑を作るつもりだという。対して庄次郎には、百姓になる気は毛頭なかった。
 やはり吉原だ。幇間に戻ろう。自分が客となって遊ぶのが一番だが、それだけの金はない。新政府の世では、無役だった旧幕臣が稼ぐ道など少ないのだ。ならば客を楽しませ、自分も嬉しい気持ちになって口を糊(のり)するのが良い。思って、庄次郎は東への旅路に就いた。

 十年が過ぎた。庄次郎――露八は吉原の幇間に戻っていた。以前とひとつだけ違うのは、荻江流の家元が世を去り、その後家と不仲になって破門されたことである。今では松廼家(まつのや)流の門下に入り、松廼家露八を名乗っている。

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

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