よみもの・連載

ポンコツ列伝

第二話 わしは腹を切るぞ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

「まずは水を一杯、飲ませてくれ」
「お、これは気付きませんで。こちらを」
 腰の瓢(ふくべ)を取って差し出してくるので、ひと雫(しずく)も残さず呷(あお)ってやった。どうだ参ったかと目を向ければ、酒井は何か嬉しそうだ。腹立たしさが伝わらない、それが腹立たしい。
「鷲津(わしづ)砦も遠からず落ちるはずだ。それが成ったら、ご隠居様は大高を陣城にすると聞いた」
「なるほど。我らが落としたこの丸根に加え、鷲津も落としてしまえば、敵も大高と鳴海(なるみ)を睨(にら)めなくなる。さすれば今川方の備えは一枚岩、万にひとつも負けはございますまい」
 鳴海城は大高から北東に四里(一里は約六百五十メートル)の城で、今川家中の侍大将・岡部元網(おかべもとつな)殿が入っている。大高が鳴海を支える後ろ巻きとなれば、なるほど精々が三千の織田勢は恐るるに足らぬだろう。何しろ今川方は総勢四万五千である。
 とは言いつつ、その辺りについてはもやもやしていた。縁のある信長殿に刃(やいば)を向けるのは、やはり申し訳ない。一方、気の進まぬ戦をしたからには今川に勝ってもらわなければ困る。十九歳の、揺れる思い。
 なのに酒井。そう、おまえだ。太平楽に過ぎるだろう。これほど文句を言って、いや、言ってはいないのだけれど、少しは汲(く)み取ってくれ。頼む。このとおりだ。
「殿。何ゆえ、それがしに頭をお下げなさるので?」
「え? いや。少し首が疲れたな、と思って」
 知らぬうちに体が動いてしまった。決まりが悪い。しかし酒井はいつもどおりに「わはは」と笑っているので、知らん振りで良いだろう。
「ともあれ殿! この先の戦でも、我ら粉骨砕身の働きをお約束致しますぞ。そして『三河に松平あり』を示し、今川家中での安泰と繁栄を勝ち取ってご覧に入れまする」
 戦馬鹿が、また勝手に気勢を上げている。わしも三河武士だが、どうにも、こういうのには慣れない。長らく三河を離れていたからだろうか。
 言い忘れていたが、それは我が不運のせいである。と言うより、松平家はこの二十年ほど不運続きだった。我が祖父・清康(きよやす)が早くに世を去り、父・広忠(ひろただ)が十歳で家督を継いでからだ。父の若年に乗じ、一族の松平信定(のぶさだ)が本拠・岡崎(おかざき)の実を奪ったことによる。
 結果、父はあちこち放浪する身となった。信定の死後にやっと三河へ戻れたのだが、この時に力を借りたのが今川義元公であった。以来、松平は今川家に頭が上がらない。
 そして岡崎城に戻って五年後、信長殿の父・織田信秀(のぶひで)が三河に兵を出して来た。父は今川に援軍を頼み、幼き頃のわしが人質に出されることになった。さらに頭が上がらなくなったのだが、助けてもらえるだけ良かったのかも知れない。
 父は、とことん不運な人であった。その不運が、ついに我が身の上にも降り掛かって来た。わしは今川へ遣(や)られるはずだったのに、身柄を奪われて織田に送られてしまったのだ。父の面目は丸潰れ、挙句、二年後には黄泉(よみ)へ渡ってしまわれた。

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

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