よみもの・連載

ポンコツ列伝

第二話 わしは腹を切るぞ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

 まあ新田の末裔も何も全ては噓――もとい、方便に過ぎない。今川を離れたら仕返しを受けることもあるはずで、その時のために離反の大義名分は必要だったのだ。今川が源氏の本流・足利(あしかが)幕府の同族なら、わしとて源氏の庶流たる新田の分家筋なのだぞ、というやつである。
 もっとも桶狭間の九年後、つまり今から三年前、今川家は甲斐(かい)の武田信玄(たけだしんげん)に滅ぼされてしまった。今川に仕返しされるかと思っていたが取り越し苦労である。何だ、源氏の本流も英主を失えば大したことはないではないか。
 などと思って気付いたのだが。本流でさえ大したことがないなら、庶流の分家など、もっと大したことがないのではあるまいか。
 だから、なのか。今、わしは逃げておる。追われておるのだ。甲斐の虎・武田信玄の軍に。
 実は先ごろ、武田信玄が上洛(じょうらく)の途に就いたのだ。今や天下人となった信長殿を追い落とすためである。徳川が織田の盟友である以上、これは見過ごせない。そういう訳で兵を出し、遠江の三方ヶ原(みかたがはら)に武田勢を迎え撃った。
 ああ、ひとつ言い忘れた。常々「戦は危ない」「気が進まない」と考えていたが、それが変わった訳ではない。だが今回は、織田が援軍を出してくれたのだ。何しろ信長殿は天下人、その援軍があるからには、この戦は危なくないと思うに足りた。
 そんな次第で、勇んで出陣したのである。おのれ武田め、弱りきった今川を滅ぼしたくらいで調子に乗るなよ、と息巻いて。
 ところが武田信玄、強いの何の。夕刻から日暮れまで、わずか一時(約二時間)の戦で蹴散らされてしまった。
 あれか。やはり源氏の庶流の分家筋だからか。源氏本流の今川よりも弱いのか。
 或いは信長殿の援軍が、たったの三千だったせいだろうか。落ち着いて考えると、息巻いて出陣できるような話ではなかったな、これは。
 もっとも信長殿は、短い間に天下を握ったためか敵が多い。諸大名に囲まれて苦しい折、援軍が小勢だったのは致し方ないところだ。と言うより、そもそも徳川は織田に付くことで生き残ったに過ぎないのだから、武田の相手は荷が重かったのかも知れぬ。
 いかん。あれこれ考えるほどに、卑屈になってきた。つまり十二年もかけて、主家が今川から織田に変わっただけ。齢三十一、もう未熟ではないはずなのに。わし、実は凡庸なのだろうか。
「――の、殿! 先より、ぶつぶつと何を唱えておいでか」
 叱り付けられた。我が家臣、大久保忠世(おおくぼただよ)である。
「念仏にござりましょうや。武田を恐れるお気持ちは、分からぬでもございませぬが」
「うるさい! 黙って逃げよ」
 まったく。今は激しく馬を追っているのだぞ。ああだこうだと話していては舌を嚙むと分からんのか。しかも言うにこと欠いて「武田を恐れておる」とは何ごとだ。無礼者め。恐いに決まっておるだろうが。
 いや、我が思いに矛盾などない。おかしいと思うのなら訊(き)くが、大久保よ、おまえは恐くないのか。一時だぞ。ただの一時で蹴散らされたのだ。恐れぬ方がどうかしている。念仏を唱えて逃げきれるなら、いくらでも唱えてやろう。そもそも我が家臣は誰彼問わず――。
「う」
 小さく呻(うめ)き声が漏れて、思念が断ち切られた。

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

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