よみもの・連載

ポンコツ列伝

第二話 わしは腹を切るぞ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

 なぜなら。
 催してきたのだ。糞(くそ)がしたい。こんな時に。
 どうする。馬を下りて用を足すか。いやいや、それでは武田勢に追い付かれよう。自慢ではないが、わしの糞は長くかかる。と言うより、これは自慢にならぬ話だ。いかん。いかんぞ。腹が渋くなって、頭の中も乱れてきたではないか。
 考えよ、わし。
 馬を下りて用を足す。追い付かれる。糞をしながら首を取られる。
 断じて、ならぬ。面目が丸潰れではないか。そんな死に方をするくらいなら、潔く腹を切って威厳を保つべきか。痛いのは嫌だが、糞をしながら死ぬよりは良い。
 さすがに観念した。かくなる上は腹を切るべし。
 お! 見よ、すんなり覚悟が決まったぞ。わしも無駄に歳を重ねただけではないと、胸を張りたい気分だ。
 ともあれ。そうと決まれば、まずは追い付――。
「あ」
 追い付かれぬところまで進み、用を足してから腹を切ろう。左様に思うたのに。
 間に合わなんだ。
 堪(たま)らん。褌(ふんどし)の中に得体の知れぬ温かさが広がってゆく。十二月の末、寒風吹き荒(すさ)ぶ冬の夜とは申せ、斯様な暖の取り方は嬉しくない。
 どうしたものか。考えよ、わし。
 追い付かれぬところまで逃げる。もはや改めて用を足すには及ばぬゆえ、すぐに腹を切る。当然ながら、誰かに亡骸(なきがら)を検(あらた)められる。

 露見するではないか!

 なお悪い。潔く腹を切ったとて格好が付かぬ。
 致し方ない、此度は腹を切らず、とにかく逃げるのみだ。が、逃げたら逃げたで後が難しい。
「おや? 殿」
 大久保か。相変わらずうるさい奴め。わしは忙しいのだ。逃げ帰った後、糞まみれの尻で如何に体面を保つかを考えているというのに。
「何か臭いますが。もしや」
 やめろ。馬を速めるな。轡(くつわ)を並べるでない。あまつさえ我が顔を覗(のぞ)き込むなど。
「あ……左様で」
 憐(あわ)れみの目を向けるな。糞ったれめ。いや、わしのことではなく。ともあれ言い繕わねば。
「……焼き味噌(みそ)じゃ」
「は?」
「これは焼き味噌じゃと申しておる!」
 大久保め、顔を強張らせおった。否やを申すつもりはないらしい。それで良いのだ。主君が白と言えば白、黒と言えば黒である。
 それにしても。焼き味噌とは。
 今になって恥ずかしさが増してきた。どこの世に、褌の中に焼き味噌を仕込む者がおる。阿呆ではないのか。もう少し言いようはあったろうに。
 嗚呼。認めねばなるまい。わしは本当に凡庸だったのだ。

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

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