よみもの・連載

ポンコツ列伝

第二話 わしは腹を切るぞ

吉川永青Nagaharu Yoshikawa

「殿は織田様の一の盟友、必ずや明智にお命を狙われましょう。手を拱(こまね)いておっては襲われるを待つのみ。かくなる上は、逃げるより外にござらぬ」
 本多忠勝(ほんだただかつ)である。徳川四天王の一に数えられ、家中で一、二を争う猛者(もさ)が左様に申すのなら、それは。
「逃げきれるかどうかも怪しい……ということか?」
 本多が、この上なく厳しい眼差しで頷いた。ついでに、ひと呼吸置いてゆっくりと。おい。その間は何だ。十中八九捕まって討たれますと認めたようなものではないか。遠回しに言えば良いというものではない。はっきり言えば、わしが取り乱すとでも思ったか。無礼者め。既に取り乱しておるのが分からんのか。おまえがそういう態度なら、こちらにも考えがある。
「忠勝。わしが帰依しておる浄土宗の本山は、知恩院(ちおんいん)であったな」
「はっ。それが?」
 狐(きつね)につままれたような顔をしおって。つまり分かっておらんのか。わしに仕えて何年になる。察するべきを察せられぬは家臣の恥ぞ。
「皆まで言わねば分からぬか! 知恩院に参り、御仏に見守られて腹を切ろうと申すのだ」
 本多の申すとおりに逃げたとて、何しろ多勢に無勢である。逃げ疲れたところで明智の軍兵に襲われたらひと溜りもない。わしはきっと、どこの誰とも分からぬ足軽に首を取られる。そのくらいなら潔く生涯を決するのが武士ではないか。違うと申すか。違うまい。どうだ参ったか。
 ところが本多め、色を作(な)して怒りよった。
「なりませぬ! 知恩院は東山(ひがしやま)、本能寺の間近なのですぞ。左様なところへ参るなど、それこそ明智に首を差し出すようなもの。家康は阿呆じゃと、物笑いの種になりましょうぞ」
 すまぬ。参った。そのとおりだ。嗚呼、如何にしても世は儘(まま)ならぬ。潔くありたいと望むのみなれど、腹ひとつ切るのも楽ではない。
 かくして、わしは逃げた。
 明智の目が光っておるからには、京へ出て東山道(とうさんどう)を進むことはできぬ。致し方なく、越えたくもない山を越えて伊賀(いが)に向かった。もっとも伊賀は、かつて上様が攻めて組み敷いた地で、織田に深い恨みを抱いておる。わしは織田の一の盟友ゆえ、ここを越えるのは多分に危うい。
 それでも他に道はないのだ。我が足軽大将に服部半蔵(はっとりはんぞう)と申す者があって、この服部の父が伊賀の忍びの出だという細い縁(えにし)を頼むしかなかった。まあ結局は服部が伊賀衆を丸め込んでくれたのだが、いつ騙(だま)し討ちに遭(あ)うかと思えば、生きた心地がせぬ道中で――。
 いや。おかしくないか。
 そもそも、わしは腹を切ろうとしておったのだ。然るに伊賀越えで思うたのが「生きた心地がせぬ」だとは。
 うむ、やはりおかしい。
 いやいや、おかしゅうない。人というのはそういうものだ。覚悟を据えているようで、実は命が惜しいのである。わしがそれと同じで何が悪い。そうとも、何も悪くないのだ。わははと大笑したくなる。そして笑った後には気が滅入るのだろう。齢四十、不惑にして惑うばかり。わしはやはり凡庸だ、と。

プロフィール

吉川永青(よしかわ・ながはる) 1968年年、東京都生まれ。横浜国立大学経営学部卒業。2010年『戯史三國志 我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞、16年『闘鬼 斎藤一』で第4回野村胡堂文学賞を受賞。著書に『誉れの赤』『治部の礎』『裏関ヶ原』『写楽とお喜瀬』『ぜにざむらい』『新風記 日本創生録』など。

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