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Illustration by Raducal Suzuki
「イタい女」の作られ方 第4回 中村うさぎ
●太宰治とは何者なのか
 最初に言っておかねばならないのだが、私は太宰治が大嫌いである。中学生の頃に初めて読んで夢中になり(つまり、その当時は大好きだったのだ)、二十代の頃には大嫌いになっていた。これまでに夢中になった作家は何人もいるが、太宰ほど私の中で好き嫌いの振幅の激しかった作家はいない。まるで、かつて激しく愛した男を、別れた後に激しく憎悪するようなものだ……と、ふと思った時に、自分のこの太宰への嫌悪は何だろうと気になり始めた。
 それはもしかして、「近親憎悪」というヤツではないか? だとしたら、太宰は私自身のもっとも憎むべき部分にそっくりな人間なのではないか?
 そう、我々がもっとも激しく憎み嫌悪する相手は、往々にして、我々自身の醜い戯画であったりするものだ。このエッセイのテーマである「イタい女」もまた、我々の中に確かにある自己像であり、そんな己に対する自己嫌悪を「近親憎悪」という形で外在化することによって、我々は自分を許せるような気持ちになるのである。
 そういう意味で、太宰という作家は、私にとって「己を投影して嫌悪する」ことのできる稀有な男性と言えるのかもしれない。私の「近親憎悪」はたいてい同性である女に対して発動するので、こんなふうに男が対象になること自体が珍しいのだ。

 まぁ、確かに太宰治は、きわめて女性的なメンタリティの持ち主である。彼は男にしては自分の容貌をひどく気にかけていたし、他者の目に自分がどのような人間に映っているかを絶えず意識していた。要するに「自意識過剰」であり、それゆえにお洒落してみたり気取ってみたりする一方で、そんな自分にツッコミを入れ続ける「ツッコミ小人」をも脳内に飼っていた。彼の作品を読んでいると、彼がいかに「ツッコミ小人」から責め立てられ、格闘していたかが、手に取るように伝わってくる。太宰は『斜陽』や『女生徒』など、女の一人称で書いた佳作をいくつか残しているが、これらもまた彼の女性的な一面があってこその作品、という気がするのである。
 男女のジェンダーが今よりもずっと明確であった時代背景を考えると、太宰は世間一般の男子よりも遥かに女っぽい性格だった。当時の感覚からすると「女々しい」という言葉でバカにされるようなタイプの男だったに違いない。おそらく彼自身もそれを恥じている部分があって、だからこそ「女の一人称」という形で「女にコスプレ」する必要があったのではないかと思うのだ。
 太宰治は「女の自意識を持つ男」であった。極言すれば、きわめて「女らしい男」であった。だからこそ私は彼に共感し、同時に、もっぱら同性に対して発動する「近親憎悪」をも抱いてしまうのだ。彼の作品を読めば読むほど、私は彼を「イタい」と感じる。そして、己の中にそっくり同じイタさがあるのを知っているから、しかもその己のイタさを普段から憎悪しているから、私は彼の作品に対して反吐が出るほどの不快感を覚えるのである。
 ちくしょう、こんなもの書きやがって。ああ、嫌だ、嫌だ。太宰のねっとりした粘着質の手が、私の魂をべたべたと触っているような気がする。気持ち悪い、おぞましい。払いのけようとして、ふと見ると、太宰だとばかり思っていたそいつの顔が、いつのまにか私の顔になっている。私は恐ろしさに気も狂わんばかりに逆上し、本を床に叩きつけるのだ。
 消えろ! 消え失せろ! おまえは、私がもっとも見たくない私自身の醜いドッペルゲンガーだ!


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〈プロフィール〉
作家。1958年福岡県生まれ。同志社大学英文科卒。ОL、コピーライターを経て、ジュニア小説デビュー作『ゴクドーくん漫遊記』がベストセラーに。その後、5年間で推定1億円買い漁った買い物依存症の日々を赤裸々に描いた週刊誌の連載コラム「ショッピングの女王」がブレイクする。『女という病』『私という病』『鏡の告白』『セックス放浪記』等著書多数。

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「イタい女」の作られ方 第4回
「イタい女」の作られ方 第3回
「イタい女」の作られ方 第2回
「イタい女」の作られ方 第1回
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