骨は自分で拾えない

斎藤茂太

   第1章 「大往生」急ぐことはないが……
       しかし、死はいつも身近にあると思え

   自分の死をどうとらえるか

 もう何年も前(平成六年)のことになるが、女優でエッセイストの沢村貞子さんのご主人・大橋恭彦さんが亡くなった。享年八十三歳だった。
 私は大橋さんとは直接の面識はなかったが、その妻の沢村貞子さんとは、俳優の千秋実さんを交えた正月の新聞の鼎談での出会いがあった。十年ほど前のことである。それ以来、そのお人柄とともに、名脇役といわれた存在感のある演技や、彼女を自伝風に扱ったNHKテレビの朝の連続テレビ小説『おていちゃん』を見て、ますますファンになった。
 その沢村さんが、愛するご主人を亡くして四十九日あまり、ごく少数の内輪の人をのぞいて、その死を周囲に秘していたことを知って驚いた。故人の希望で葬儀も出さなかった。沢村さんと夫の大橋さんの結婚生活はおよそ五十年、大橋さんは沢村さんとは二つ違いの年下だった。
 新聞記事によれば、亡くなって一か月め、おいの長門裕之さんや津川雅彦さんなど、ごく親しい人たちだけで、故人が好きだったウナギを食べたという。それを機に、四十九日が過ぎたとき、ようやく周囲にその死を話した。死因は胃潰瘍が原因の心不全だったとのこと。「すべてむだなく、老衰させての死でした」と沢村さんは、親しい人たちにその死を伝えた。
 沢村さん(本名・大橋貞子)は明治四十一年(一九〇八年)生まれ。日本女子大学在学中に新築地劇団に入り、左翼思想に傾倒して啓蒙活動をつづけ、治安維持法違反で逮捕されたこともある。『おていちゃん』では、このへんが前半のヤマ場だった。昭和九年日活に入り、のち東宝を経てフリーとなるが、数多くの映画、テレビに出演、とくに脇役として多くの名演技を見せた。
 昭和五十三年にご主人との生活を大事にしたいからと女優業を引退し、以後、湘南の海辺の家で大橋さんと語らいながら執筆活動に専念した。
 夫の大橋恭彦さんは元京都新聞の記者から雑誌『映画芸術』の発行・編集に携わり、のちに沢村さんの「屈強な」マネージャーとなる。「人前には決して出たがらなかった夫が、以後いっさいを仕切り、おかげで五十年間、家事以外のことは何一つ私は知りませんでした。年賀状も主人が見事な筆跡で書くんです。私は見ているだけ」だったという。
 そんな大橋さんが一冊の日記帳を残していた。沢村さんはそんなものがあるとは知らなかったそうだが、大橋さんの遺品を片付けていて発見した。ふだん沢村さんには決して、「ありがとう」などとは言わなかった大橋さんだったそうだが、その日記帳の冒頭に「ありがとう」と書いてあったそうだ。
 平成五年に出版された沢村さんの随筆集『老いの楽しみ』(岩波書店、現・岩波現代文庫)に、「いくらもない人生だからね、どこか、海の見えるようなところでのんびり暮したいなあ、そうすりゃあ、つまらない欲や見えもなくなって、ごく自然に幕をしめることができるような気がする」「やがてどちらかが欠けると思うと、いまの毎日がもったいない」と、引退後の心境が書かれている。

 
 
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