ゲーテさん こんばんは


池内 紀

   教育パパ

 一七六五年十月、ゲーテはライプツィヒ大学に入学した。ときに十六歳。
 なんでもできた。ギリシア語、ラテン語といった古典語はもとより、フランス語、イタリア語に堪能で、英語もできる。地理、歴史、博物学にくわしい。ピアノが弾けたし、絵が上手だ。ダンスと乗馬は玄人はだし。筆跡がのこっているが、一字の乱れもない見事な書体であって、とても十代半ばとは思えない。
 といって、べつに早熟の天才というのではない。教育の産物である。教育パパがたたきこんだ。おかげで早々と、なんでもできる変てこな小型紳士が誕生した。
 三歳のとき「ホッフ夫人の幼稚園」というのに入れられた。昼食をはさんで午前と午後にわたり、読み、書き、算数を習う。それに聖書の話。とりわけ綴りのまちがいは厳しく直された。
 五歳からは寄宿制の初等学校に入った。休みに家にもどると、父親がソロモンの箴言つきの読本でおさらいをした。七歳のとき天然痘にかかって自宅に帰ってからは、つぎつぎに家庭教師がついた。
 まずはヨハーン・チューム先生といってペン字の大家だった。「カリグラフィーの芸術家、並びに個人教授をする教師」を名のっていた。ゲーテにおなじみの流れるような美しい筆跡は、この「カリグラフィーの芸術家」から伝授された。
 七歳のときからギリシア語とラテン語の個人教授がはじまった。先生はプロフェサー・シェルビウスといった。ついでガシェ夫人によるフランス語。九歳のときから銅版画家ヨハーン・エーベンについて絵を習いはじめた。同時にイタリア人ドメニコ・ジョヴァンナッツィによるイタリア語、ヨハーン・シャーデによる英語の学習。ヨハーン・アルブレヒト先生によるヘブライ語。乗馬学校に出かけて乗馬を習った。ダンス教師がダンスを教えにやってきた。あいまに教会の合唱指揮者がピアノと歌唱指導に通ってくる。
 一つには時代のせいだった。ヨーロッパの十八世紀は「啓蒙主義の時代」とよばれているが、いいかえれば教育ブームの世紀だった。蒙を啓く。教え、導く。それをするのが、しだいに教会から教育へと移ってきた。歴史上はじめて教育パパや教育ママが出現した時代である。と同時に教育がワリのいい商売になった。「カリグラフィーの芸術家、並びに個人教授をする教師」といった看板を掲げた素人教師が輩出した。人いちばい流行に敏感だったジャン=ジャック・ルソーは、さっそく『エミール』と題する教育書のベストセラーを世に出した。
 ある家庭教師は肩書にそえてキャッチフレーズをつけていた。「庭に樹木を、言語にコトバを、子供の魂に美徳を植えつける庭師」。当時もてはやされた著書は、つぎのようなタイトルをもっていた。
『幼い魂のための教本』
『子供のための倫理読本』
『ためになる旅行叢書』
『娘のための父親の忠告』
『教養ある婦人のためのエチケット集』
 アルファベットの形をしたビスケットがあるが、あれはこの世紀の発明品である。午後のおやつにも、お勉強がなくてはならない。ある男爵はわが子のために二十六人の召使を雇い入れ、それぞれにアルファベットの名をつけていた。

 ゲーテの父親はヨハーン・カスパール・ゲーテといった。当時の言い方をかりると、「恵まれた少数者」の一人にあたる。生まれながらに資産があって、何もしなくていい。このヨハーン・カスパールが生涯にしたことといえば、金で「帝室顧問官」の肩書を手に入れたことと、息子ヨハーン・ヴォルフガングを育てたことぐらいだろう。「帝室顧問官」の肩書は上流階級に出入りするのに役立った。そして息子のおかげで後世に名がのこった。

 
 
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