-短編ホテル-「錦上ホテル」

錦上ホテル

大沢在昌Arimasa Oosawa

「上野さんの送別会をやるなら、幹事をするとおっしゃってましたよね」
「ああ、確かにいった」
「伊多々田さんも上野さんにはお世話になったから、ぜひでたい、と。上野さん本人は嫌がるかもしれませんが、つきあいのある作家の方に打診してみていいですか。幹事としてのお名前はお借りしますが、実務はこちらでやります」
「そうしてくれるなら頼むよ」
「了解しました。それで場所なのですが、前々から上野さんにリクエストされているところがあるんです。新宿の錦上(きんじょう)ホテルってご存じですか」
「なつかしいな! まだあるのか、おい」
 思わず私は声を上げていた。
 今を去ること三十年前、私を含めた若手のミステリ作家で「目高(メダカ)の会」というのを結成し、半年に一度パーティを開いていた。
 パーティといえば文学賞の受賞式というのがお約束の出版界で、文学賞に縁がなく、呼ばれても肩身のせまい若手ばかりで集まりをもとうじゃないかというのがきっかけだった。会費制で、若手の編集者を対象に案内状を送り、編集長クラスなどはめったにこなかった。
「とかく目高は群れたがる」を、自ら認じた会で、メンバーは二十代から四十代までの、デビュー五年以内くらいの無名のミステリ作家ばかり六人で始まった。切磋琢磨(せっさたくま)や編集者との交流を目的とし、結成から五年で会員は二十人近くまで増えた。そこから超売れっ子になったり、大きな文学賞を受賞する者も十人を超した。
 今から十年前、結成から二十年で「目高の会」は解散された。かつての中核メンバーが忙しくなり、パーティなどの幹事をする余裕がなくなったのがその理由だ。一方で、メンバーの中には、書店や雑誌ですらその名を見かけることがなくなった人もいる。浮沈の激しい業界で、三十年生き抜くのは容易ではない。
 その「目高の会」が毎度、パーティ会場として借りていたのが、錦上ホテルだ。新宿といっても若松町に近い位置にあり、地下鉄の新線が開通するまでは、新大久保駅や早稲田駅から十分以上歩かなければならない場所にあった。しかも当時でも築四十年はたっていそうな古い建物で、エレベータは狭いわ小さいわ、でてくる食事も正直おいしいとはいいにくかった。だが格安料金で会場と料理を提供し、酒類のもちこみもOKという太っ腹は、他のホテルにはなかった。
「そういえば錦上ホテルを見つけてきたのは上野さんじゃなかったかな」
 私がいうと、外山は意外そうに答えた。
「そうなんですか。僕が入社したときには『目高の会』は、結成されてから十年くらいたっていて、錦上ホテルでパーティをやるのはお約束になっていました」
「確か、学生時代にバイトをしていた縁で、錦上ホテルの社長を知っていて、格安でやらせてもらうように話をつけたのじゃなかったかな」
「なるほど。そういう事情だったんですね。錚々たるメンバーが集まった会がなぜこんなボロいホテルでパーティをやるんだろうと思っていたんですが」

プロフィール

大沢在昌(おおさわ・ありまさ) 1956年、名古屋生まれ。79年、『感傷の街角』で第1回小説推理新人賞、91年『新宿鮫』で第12回吉川英治文学新人賞、第44回日本推理作家協会賞、93年『新宿鮫 無間人形』で第110回直木賞、2004年『パンドラ・アイランド』で第17回柴田錬三郎小、10年第14回日本ミステリ文学大賞、14年『海と月の迷路』で第48回吉川英治文学賞を受賞。著書に『毒猿』『絆回廊』など新宿鮫シリーズのほか、『欧亜純白』『烙印の森』『漂砂の塔』『悪魔には悪魔を』など多数。