- 有原和樹の妻が自宅で殺害された。夫婦仲が悪くアリバイがなかったため、和樹が逮捕される。
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担当弁護士の鶴見は、和樹が犯行時刻に居酒屋でアイヌの楽器を持った男と会ったという言葉を信じる。探し出したその男は、和樹を覚えていないと答えた後、姿を晦まし……。手掛かりを求め北海道へ飛んだ鶴見は、暗い秘密を抱える人々の心を解きほぐしながら、驚愕の真相に迫っていく!長編ミステリー。
担当弁護士の鶴見は、和樹が犯行時刻に居酒屋でアイヌの楽器を持った男と会ったという言葉を信じる。探し出したその男は、和樹を覚えていないと答えた後、姿を晦まし……。手掛かりを求め北海道へ飛んだ鶴見は、暗い秘密を抱える人々の心を解きほぐしながら、驚愕の真相に迫っていく!長編ミステリー。
小梛治宣(文芸評論家)
三十歳をすぎても学生っぽい雰囲気を残してはいるが、その外見とは裏腹に真実を追求することでは一歩も引かぬ気魂の持ち主である鶴見京介を主人公とするシリーズも巻を重ねて、最新作『奪還』で十三作目となった。この十三巻に及ぶ物語は、鶴見京介が、弁護士として、さらには人間として成長していく過程でもあったといえる。
そもそも鶴見京介が弁護士を目指すことになったのは、いじめに悩んでいた高校生のときにある人物の講演を聴いたことが切掛けだった。その人物は、「寛恕」の気持ちをもつことの大切さを強く説いた。そこから京介は無実の人を救う弁護士となることを決意したのだった。その人生の恩士たる人物の弁護にあたるのが、シリーズ一作目の『黙秘 裁判員裁判』だ。この一作目に込められた「愛」と「絆」とがシリーズ全体の基調となっていく。この愛と絆の裏側に秘められた真実を追求しながら冤罪事件と闘い続けていく鶴見京介の姿が、読者の共感を呼ばぬはずがない。あるときは、自らの貯金を崩してまでもホームレスの無罪を証明するために調査を続け(『最期』)、あるときは解任されてもなお、真実を求めて事件を追い続ける(『冤罪』)。
この『冤罪』は、シリーズ中唯一、女性が依頼人となる作品でもある。何人もの男の死に絡む美貌の被疑者は、聖女か魔性の女か。シリーズ中、最も妖しげな印象が残る物語だ。この作品もそうだが、高齢化などの社会問題を背景としているあたりは、松本清張を尊敬している作者ならではのものといえよう。死刑判決を前に上告を拒絶する被告と弁護人の苦悩が読者の心を直撃する『覚悟』には、清張作品が色濃く反映されてもいる。
清張といえば失踪をテーマとした秀作も少なくないが、本シリーズではタイトルがズバリ『失踪』がある。中学時代の恩師が失踪し、その行方を京介が追うことになる。京介の弁護士とは別の顔が見られる楽しみもあるが、高齢社会の現実を踏まえた、これまでに類例のない失踪ミステリーとしても、特異な作品である。
特異といえば、京介が弁護士生命を賭して、弁護士の禁じ手を使ってでも被告の無実を証明しようとするのが、『逆転』である。その裏には、十八年前に、京介が秘かに憧れていた同級生の姉の命を奪った事件が潜んでいたのだった。タブーとされる真犯人を名指しすることは、京介の無念を晴らすことでもあったのだ。
最愛の人の命を奪われた無念さ――この歯噛みするほどの無念さは、本シリーズの至る所で痛感させられるが、作者の筆は、無念さの向こう側にかすかな希望の光を与えている。そこから読者は、登場人物たちの未来を想像することになる。物語の続きは、作者から読者へと引き継がれて行く。読後の余韻がいつまでも心に残るのはそのためだろう。「無罪の神様」と呼ばれた弁護士がお遍路巡りをするうしろ姿が事件の鍵を握る『結願』は、その代表といえよう。
「神がかり」的手腕で冤罪事件を解決してきた京介だが、ライバル検事に「おそらく、この裁判、鶴見弁護士の負けだ」といわせたのが、二つの大震災を背景とした『鎮魂』である。京介に唯一の敗北を味わわせた異色作ともいえるが、異色作といえば、京介の友人が立待岬から墜落死した謎を追う『邂逅』は、感動の質が一味違うシリーズ屈指の作品である。
本シリーズは、過去と現在とを巧みに融合させたプロットの秀逸さも特長の一つといえるのだが、最新作『奪還』はそうした点も含めてシリーズ最高水準の作品である。妻を殺害した容疑で逮捕された男のアリバイ証人のドラマが入れ子のような構造となり、さらにその中にもう一つ別の人間ドラマが仕込まれているという凝ったプロットになっているのだ。しかも、それらがそれぞれ人間の運命を左右する過酷なドラマなのである。単なる冤罪ミステリーを超越した真の人間ドラマといっていい。被疑者にとって、自らの運命を託すに足るだけの弁護士の存在が、いかに大切であるかを改めて考えさせられもする。それは又、鶴見京介の弁護士としての成長ぶりを如実に物語ってもいるのである。『奪還』が、読む者の心を掴んで離さないのは、愛する者のために自らの人生を犠牲にしてきた男の慟哭が、心に染み透ってくるからでもある。あと戻りできない人生に無念の思いを抱きながらも自分の思いに誠実に生きる男に共感し、号泣させられるミステリーの世界を堪能できることは間違いない。