第三章 出師挫折(すいしざせつ)3
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「……それだけではありませぬ」
伝令が恐る恐る付け加えた。
「まだ他にもあるのか?」
晴信の問いに、伝令が首を捻(ひね)りながら答える。
「あ、はい……。し、白旗が軍勢の後方に」
「白旗?……源氏の白旗と申すか?」
「……そのように、物見が申しておりました」
「源氏の白旗を掲げる軍勢だと!?……どこの不届者だ?」
晴信と信方が顔を見合わせる。
「根ありの三ッ葉梶は?」
「諏訪家の旗印は、確認しておりませぬ」
「さようか。総勢はどのくらいの数だ?」
「……物見の目算によりますれば……ま、万を超えるのではないかと……」
「小笠原が万を超える軍勢で瀬沢に布陣したというのか」
晴信は驚愕(きょうがく)の面持ちで信方を見る。
「若、すぐに軍(いくさ)評定を開きましょう」
「そうしてくれ」
「御意!」
信方は急いで主だった家臣を招集した。
軍評定の場で若神子城からの一報が伝えられ、対応が協議される。
「瀬沢に布陣した軍勢は万を超えると思われ、その主力は小笠原と木曾。目的は定かではないが、明らかに甲斐を睨(にら)んで国境に陣取ったと思われる」
信方が地図を指しながら言った。
「駿河(するが)殿、軍勢の中に源氏の白旗を掲げる者がいると聞いたが、それは村上の兵ではありませぬか?」
原虎胤が憮然(ぶぜん)とした面持ちで訊く。
「白旗に村上の『丸に上の字』の旗印が交じっているという報告は受けておらぬ」
「だから、村上の兵が正体を隠し、われらに嫌がらせをするように源氏の白旗を掲げているのではありませぬか。あの者どもは自らを清和(せいわ)源氏の出自と称しておるが怪しいものだ。小笠原ならばまだしも、村上が源頼信(よりのぶ)様流の源氏を名乗るとは笑わせてくれる。甲斐源氏のわれらに対する当てつけでありましょう」
「……われらと盟を結んだ村上の兵が加わっているという確認はできておらぬ。されど、万が一にも村上の兵が交じっているとすれば、それは大きな問題だ」
「いかにも村上義清がやりそうなことではありませぬか」
原虎胤は吐き捨てるように言う。
二人のやり取りを、他の家臣たちは固唾(かたず)を吞んで見守っている。
「まあ、村上の兵が加わっているか、いないかなど瑣末(さまつ)な問題でありましょう。問題は、諏訪家ではありませぬか?」
「……軍勢の中に諏訪家の旗印はないと聞いておるが……」
信方が答える。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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