よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)16

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

  二十五 (承前)

 禰津(ねづ)元直(もとなお)の進言が終わり、話を引き取った信方(のぶかた)が訊く。
「若、いかがにござりまするか?」
「こたびのことで小笠原(おがさわら)か、村上(むらかみ)が動いてくるやもしれぬと思うていたが、双方が連係し、すぐに兵を揃えてくるとはな。やはり、侮れぬ。されど、来るとわかっているのと、わかっておらぬのでは天と地ほど違う。板垣(いたがき)、備えについては、いかように考えておる?」
 晴信(はるのぶ)が聞き返す。
「禰津殿の進言通り、主力は大門(だいもん)峠に置くのがよろしいかと。道が細くなる峠の頂上を封じ、左右の林に弓隊を伏せておけばよいかと。また、敵の背後を取れる禰津城にも伏兵を置くべきと存じまする。敵が峠を登り始めましたならば、背後に忍び寄り、退路を塞ぐぞと法螺(ほら)や太鼓の音で脅しをかけるだけで充分でありましょう」
「さようか」
「されど、念には念を入れ、西側の下諏訪(しもすわ)には飯富(おぶ)と昌頼(まさより)の軍勢を配し、万が一の挟撃に備えまする。南の高遠(たかとお)に対しては、それがしの一隊が宮川(みやがわ)を封じましょう。大門峠の主力を甘利(あまり)、禰津城の伏兵は鬼美濃(おにみの)に預ければよろしいかと」
「なるほど。ならば、余と加賀守(かがのかみ)は?」
「本隊の後詰(ごづめ)として、お控えいただくのがよろしいかと」
「わかった。皆、その布陣でどうか?」
 晴信の問いに、一同が声を揃えて答える。
「異議なし!」
「では、各々、手配りを頼む。禰津殿、こたびの諜知(ちょうち)、まことに感謝いたす」
 晴信の言葉に、禰津元直が頭を下げる。
「有り難き御言葉を頂戴いたしまして、恐悦至極にござりまする」
「禰津殿、そなたが参陣を希望していると板垣から聞いたゆえ、あえて訊ねたい。そなたらは古(いにしえ)より誉れ高き滋野(しげの)一統であり、前(さき)の海野平(うんのだいら)ではわれら武田一門とは敵同士であった。あの戦(いくさ)の後、諏訪家の麾下(きか)に入ったことは存じておるが、頼重(よりしげ)殿亡き今、なにゆえ当家への臣属を望むのであろうか?」
 晴信は微(かす)かな笑みを浮かべ、わざと試すように「臣属」という言葉を使った。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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