よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)14

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

  四十(承前)

「この砦を奪取なされたことは、まことに慧眼(けいがん)としか申せませぬ。ここからは北国(ほっこく)街道に関わる要所が一目瞭然となりまする。あの山をご覧くだされ」
 厳峻坊(げんしゅんぼう)は錫杖(しゃくじょう)の先で西側にある山を示す。 
「あれが天白山(てんぱくさん)にござりまする」
「千曲川(ちくまがわ)の西側に連なる山岳すべてがか?」
「いいえ、連峰の突端にあたり、北国街道を見渡すことができる山が天白と呼ばれておりまする。地の者の中では、薄山(すすきやま)とも呼ばれておりますが。天白山の麓(ふもと)には千曲川から分かれた浦野川(うらのがわ)と産川(さんがわ)が流れており、これらに囲まれた地を上田原(うえだはら)と呼びまする。ここからは郭(くるわ)がはっきりと見えませぬが、天白山の麓から少し登ったところに須々貴(すすき)城なる古城がありまする。もっとも、そのまま天白山城と呼ばれることもありますが。村上(むらかみ)勢が砥石(といし)城を奪取してからこれを改修し、街道への備えとなる要城にしたという風聞が流れました」
「まことか!?」
「はい。おそらく、間違いないかと。須々貴城はさほど高くない山間に位置し、千曲川と二本の支流を天然の堀に見立てられるため、非常に使い勝手のよい城となっているようにござりまする。さらに天白山の西の裏手には小泉(こいずみ)城もありまする。この城は上田に古(いにしえ)から根付く豪族が築いたもので、天白山の山頂に近い上の城と麓に近い下の城に分かれており、これが須々貴城と連係していると考えた方がよかろうと」
「われらに見えていない城が三つもあるということか……」
「それだけではありませぬ。天白山の西側、われらから見れば裏側になりますが、その山裾をなぞるように室賀道(むろがみち)という岨道(そわみち)が通っておりまする。小泉下の城からこの室賀道を使えば、密かに埴科(はにしな)郡の坂木(さかき)へ出ることができまする」
「埴科の坂木!?……村上の本拠である葛尾(かつらお)城がある場所ではないか!」
「さようにござりまする。室賀峠を越えなければならぬ岨道ゆえ、大軍の進路には向きませぬが、小勢をいくつかに分けて進ませれば、小泉城と須々貴城にそれなりの兵を送ることができまする。もちろん、この砦からも気づかれずに」
「……なんということか。そんなことを見過ごしたまま、すでに十日以上も経っている。敵が動くのに充分な時を与えてしまったではないか」
 信方(のぶかた)は驚きを隠せない。
「とにかく、物見を放ち、様子を探るしかなかろう。そなたの話は大変参考になった。かたじけなし」
「お役に立てましたならば、幸いにござりまする」
 修験僧が頭を下げる。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number