-短編ホテル-「聖夜に」

聖夜に

下村敦史Atsushi Shimomura

 彼は一体何を抱えているのだろう。
 その日から彼は毎日店にやって来て、少しずつ話をするようになった。フィリピンの貧しい家で生まれ育った人間としては、日本は経済的に恵まれていて、憧れの国の一つだったが、彼は母国よりフィリピンに魅力を感じてくれているようで、それが嬉(うれ)しかった。
「─フィリピンの自由さに惹(ひ)かれてね。こっちは親切な人間が多いし、いいよな。何より、こうしてマリカに出会えたしな」
 日本食をほとんど食べたことがないと言うと、カツベは日本料理─SUSHI≠竍TENPURA>氓フお店に連れて行ってくれた。チョコレートが載ったSUSHI≠竅AバナナのTENPURA≠オか食べたことがなかったので、美味(おい)しさに驚いた。
「それはエセ日本料理だよ」
 カツベはそう言って笑った。
SUSHI≠熈TENPURA≠熹味しかったが、一番のお気に入りはある屋台の名物料理だった。
「俺、お金あまりないからさ」と申しわけなさそうに謝ったカツベは、屋台のTAKOYAKI≠買った。日本人のおじさんが「本場のTAKOYAKI≠セから美味(うま)いよ」とサービスしてくれた。
TAKOYAKI≠食べながらカツベと歩いていると、人ごみで男性にぶつかられ、TAKOYAKI≠ェ二個、紙皿からこぼれ落ちて転がっていった。マリカは「あっ」と声を上げた。TAKOYAKI≠ェ誰かの靴に踏み潰される。
「てめえ!」カツベはぶつかった男に食ってかかり、声を荒らげた。「謝れよ、おい!」
 フィリピン人男性は困惑しながら、謝罪を繰り返した。
 自分のために怒ってくれたカツベに頼もしさを感じた。
 ある日、カツベから告白され、交際をはじめた。それが人生で初めての恋人だった。
 だが──。
 優しかったのは最初だけで、カツベは次第にその本性を現しはじめた。
 彼を怒らせてしまうと、「自分の何が問題だったか考えろ」と反省を強いられる。「馬鹿だろ」「お前には知性がない」「そんなことも理解できないなんて頭が悪い」と人格も含めて全否定される。あんまりな言い草に口答えをしようものなら、「論点をずらすな! 言い方は関係ないだろ」「発言の内容じゃなく、口調を問題にするのか!」「俺が怒鳴るのには理由がある。それを理解しろ!」と返される。怒鳴り声を聞かされるたびにすくみ上り、彼を怒らせないためにはどうすればいいか、そんなことばかり考えるようになった。

プロフィール

下村敦史(しもむら・あつし) 1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。他の著書に『生還者』『失踪者』『告白の余白』『黙過』『刑事の慟哭』『絶声』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』など多数 。