-短編ホテル-「サンセールホテル」

サンセールホテル

柚月裕子Yuko Yuduki

 三輪はスタッフへの指導が厳しくて有名だ。広大もいつもなにかしら注意をされる。
 広大は直立の姿勢をとり、朝の挨拶をした。
「おはようございます」
「おはよう」
 短い挨拶が返ってくる。
 身を固くしている広大を、三輪は上から下まで眺めた。切れ長の目で睨(にら)み、胸元を顎で指す。
「曲がってる」
「え?」
 言われて自分の胸元を見ると、つけているネームプレートが斜めになっていた。
「すみません」
 慌ててまっすぐに直す。
 三輪は厳しい口調で言う。
「わずかな心の緩みが、大きなミスに繋(つな)がる。あなたひとりのミスがサンセールホテルの信用を損ないかねないことを覚えておいて」
 広大は姿勢を正し、声を張った。
「はい、以後気をつけます」
 三輪がスタッフルームに入っていく。
 広大はそっと詰めていた息を吐いた。
 三輪は今年で二十八歳になる。二十四歳の広大と四歳違いだが、ホテルマンとしてのキャリアの差は大きい。
 広大は四年制の大学を卒業しサンセールホテルに就職したが、三輪は語学に関する専門学校卒業後、すぐにここに勤めた。
 三輪のホテルマンとしてのキャリアは八年で、広大は二年。しかも、広大は入社後一年間は見習い扱いだった。正式に係に配属になったのはつい先日で、実質ホテルマン一年生といえる。
 ホテル側が三輪に置いている信頼は大きい。仕事にミスはなく、客への細やかな心配りもできる。大切な客が入ったときは、三輪を担当にしているほどだ。
 しかし、広大は三輪が苦手だった。客には笑顔で対応するが、それ以外の者には表情を崩さない。仕事以外の話はしないし、こっちが冗談を言っても冷たい目で見られて終わりだ。
 先輩としては尊敬する。真面目なのもいいことだ。しかし、もう少し打ち解けてくれてもいいように思う。
 三輪についてスタッフルームに入ると、なかには十人ほどのスタッフがいた。早番の宿泊部門の者だ。
 サンセールホテルには五つの部門がある。主に客の対応に従事する宿泊部門、館内にあるレストランを管理しているレストラン部門、レストランで腕を振るうシェフたちを取りまとめている調理部門、結婚式や会合などを担っているイベント部門、ホテルの施設管理や広報を担当している管理営業部門だ。部門ごとに係がいくつかあり、客室係は宿泊部門に所属している。

プロフィール

柚月裕子(ゆづき・ゆうこ) 1968年岩手県出身。2008年「臨床真理」で第7回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞しデビュー。13年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞を、16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞を受賞。他の著書に『慈雨』『盤上の向日葵』『暴虎の牙』『月下のサクラ』などがある。