よみもの・連載

いきなり文庫! グランプリ 座談会メンバー 北上次郎(文芸評論家) 吉田伸子(書評家) 江口洋(編集部)

第5回「いきなり文庫! グランプリ」優秀作に、長月天音『ただいま、お酒は出せません!』を選出

江口
それでは「いきなり文庫! グランプリ」の第5回座談会を始めます。今回の優秀作は、長月天音さん『ただいま、お酒は出せません!』。集英社文庫です。この作品についてじっくりと検討していきましょう。ええと、参考図書は、中島久枝さん『一膳めし屋丸九』、原田ひ香さん『三人屋』、井上荒野さん『キャベツ炒めに捧ぐ』の三冊です。
北上
はい。それでは『ただいま、お酒は出せません!』なんですが、これはコロナ禍におけるレストランの苦境を描いた小説ですね。章見出しを見れば一目瞭然なんですが、第一章の見出しが「最初の波」、第二章の見出しが「第二の波」、で、第三波、第四波と続いていく。そのときにそれぞれどういうふうに大変であったかを描いていくので、なんだかドキュメント・ノベルふうでもある。最後のほうで東京の感染者が4000人を超えたと驚くくだりがあるんだけど、第六波では2万人、第七波では4万人という数字を私たちは知っているんで、そうか、第四波のころはまだそんな数字だったのかと。
吉田
東京の、特に飲食店で働く人たちがどういうふうに働いていたのかがよく描かれているので、記録文学としてとても面白い。
北上
最初にちょっとした違和感について話をしたいんだけど、第一回目の緊急事態宣言が出た2020年4月からこの小説が始まるよね。そのころ東京ではマスクが手に入らなくて困っていた記憶があるのに、ここに出てくるイタリアンレストラン「マルコ」の人たちは普通にマスクをつけている。これ、気にならなかった?
江口
レストランに勤務している人たちだから、たぶん店から支給されていたんだと思います。
北上
なるほど、そうか。
吉田
元同僚の人が井の頭公園の近くで店を始めていて、主人公がそこを訪れる場面があったりしますよね。あの店主がいいなあ。
江口
ヒロインの働く店は新宿駅に直結する商業ビルに入っているから、ビルそのものが閉まっちゃうと営業できない。けど、個人経営の店は店主の考えで、店を開けることもできる。その違いも描いているから、とても興味深い。
吉田
あとはなんといっても、ヒロインの設定ですよ。30代でバツイチでパートでしょ。ここで描いているのは、正社員に比べてそういう立場の弱い人間の苦境ですよ。それがポイントだと思う。
北上
そうだね。食べ物小説というよりも、お仕事小説だ。

『ただいま、お酒は出せません!』長月天音 集英社文庫

新宿の駅ビルに入っているイタリアン・マルコ新宿店で、パートとして働く鈴木六花。店長の皆見から通達があった、「明日から店は休業です」と。コロナ禍による第一回目の緊急事態宣言。六花は独り暮らしの中、孤独を深めていく。そして、休業が明けても客足は戻らず、課題は山積みだった。レストランを営業するのは八方ふさがり。それでも「お客様の笑顔が見たいから」お店を開ける。店の立て直しに六花の奮闘は続く。2020年からコロナ禍で分断された社会の中で、もがきながら光を探す希望の物語。30代独身、パートの女性が活躍する新・お仕事小説!

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