

魔都の婦人記者
ひずき優
繁栄と退廃、侵略とテロ、富と貧困――。
すべてを内包する「魔都」上海で、雑誌記者・虹子が見た陰謀と真実とは⁉ ノワールサスペンス!
1930年代、人々を魅了するアジア一の大都市・上海。スキャンダルを背負って死んだ父の汚名を漱ぐため、身一つで上海に降り立った高峰虹子は、到着早々すべての荷物を掏られ途方に暮れていた。そんな時に出会ったのは、大衆誌「上海モダン」を発行する作家・佐木と、記者の不破。佐木に頼み込み、記者として働きはじめた虹子は、街を賑わす様々な事件に触れつつ、父の事件の真相を追うが……。
2025年6月20日発売
1,012円(税込)
文庫判/408ページ
ISBN:978-4-08-744786-6
【刊行記念! 著者エッセイ】
魔都の魅惑
租界:中国の開港都市で、外国人がその居留地区の行政・警察を管理する組織およびその地域。(広辞苑第六版)
上海は1845年にイギリスが初めて設けた租界でした。欧米が支配する自由貿易の拠点として拡大を続け、1930年代の人口はおよそ300万人。ロンドン、ニューヨーク、東京、ベルリン、パリについで世界第6位の大都市です。
租界の始まりは中国が阿片戦争でイギリスに敗れ、不平等条約を飲まされたことですが、政治の混乱に翻弄されていた多くの中国の人々にとって外国の軍に守られた租界は、反乱や内戦、慢性的な貧困、大規模な自然災害から逃れる避難先でもありました。
また世界で唯一、パスポートもビザも持たずに入れる都市であり、たどり着きさえすれば誰でも住むことができたため、ロシア革命で国を追われた白系ロシア人や、欧州での迫害に苦しむユダヤ人などの難民も押し寄せました。
加えて世界中の犯罪者や、一攫千金を狙う山師が集まる街でもありました。彼らのおかげで上海では殺人や誘拐、阿片、賭博、人身売買といった犯罪が横行していました。さらに列強各国の思惑が入り乱れる諜報戦の最前線でもあり、中国人による排外・抗日活動も盛んとあって、活動家、テロリスト、スパイの暗躍する街でもありました。
世界中の人々にとって当時の上海はまさに「魔都」でした。
……と書くと、何やら妖しくも恐ろしい印象を受けるばかりですが、もちろん当時、ごく普通に暮らす人々も上海には大勢いました。というよりも、大半がそうではなかったかと思います。
何しろアジア随一の商業都市です。世界中から企業や銀行、工場が集まり、活況を呈していました。
私の祖母もまた、戦前から戦中にかけての上海でごく普通に会社勤めをしていた日本人のひとりでした。祖母はあの街が大好きで、子供だった私によく思い出話を聞かせてくれました。よって私にとっても上海は特別な街であり続けました。
そんな私が『魔都の婦人記者』という作品を書くに至ったのは、必然としか言いようがありません。
1936年、二十歳の高峰虹子は、とある目的を胸に上海にやってきますが、到着早々有り金をごっそり盗まれ、生活費を稼ぎつつ目的を遂行するために、知り合った雑誌編集長の佐木に自分を記者として売り込みます。
記事のネタを探す虹子の前に様々な事件が起こり……というストーリーです。
詐欺、殺人、テロ、阿片、賭博、人身売買、青幇(チンパン)、汚職刑事と「魔都」的な要素をめいっぱい詰め込みました。そこはまぁ、エンターテイメント作品として欠かせませんし。
とはいえ上海という街そのものを描きたいという思いもあり、政治や戦争については控えめに、あくまで個人の物語に終始しました。
登場人物と共に当時の街の雰囲気を味わい、楽しんでいただければうれしいです。
ちなみに祖母は一介の会社員でしたが、上海で一度爆弾テロに遭遇したと話していました。また日本に引き揚げた後、現地で親交のあった友人がスパイ容疑で逮捕されたと知ったそうです。
庶民の日常生活と、裏の世界がとても近い街だったのはまちがいなさそうですね……。
【細谷正充さんによる解説特別公開!】
集英社が長年にわたり刊行していた、少女向けのライトノベル・レーベル「コバルト文庫」は、宝の山である。この宝とは作品だけでなく、作家のことも指している。多数の作家がコバルト文庫から、さらなる世界に羽ばたいているのである。コバルト文庫でデビューし、このたび初めて集英社文庫から書き下ろし作品『魔都の婦人記者』を上梓したひずき優も、そんな宝のひとりといっていい。すでに本書を読んだ人なら、そのことを深く納得してもらえるだろう。 ひずき優は、二〇〇七年度ロマン大賞を「REAL×FAKE」で受賞。同年八月にタイトルを『キミのいる場所─REAL×FAKE─』と改題し、コバルト文庫から刊行した。以後、コバルト文庫と集英社オレンジ文庫で作品を発表。『小説 不能犯』『小説 ショウタイムセブン』などのノベライズも手掛ける。その中で注目したいのが、夜来香という街を舞台にした初期作品「夜来香幻想曲」シリーズだ。第一弾となる『夜来香幻想曲 約束の街と恋の招待状』の「あとがき」で作者は、 「作中に『バンド』や『租界』などの単語が出てきたため、お気づきの方もいるかもしれませんが、この話の舞台である夜来香という街は、二十世紀はじめの上海をモデルにしています。 あの時代の風俗や、はなやかさと背徳とが混ざり合う街の雰囲気が好きなので、書いていてとても楽しかったです。趣味で集めていた大量の資料本が役に立ちました!」 と、いっている。この文章から分かるように、作者は早くから上海に強い興味を抱いていたのだ。そしてついに、上海を舞台にした物語を書き上げたのである。それが本書なのだ。
作中に、〝上海は、阿片戦争に勝利したイギリスによって築かれた東アジア随一の港街だ。租借された土地は租界と呼ばれ、広大な治外法権の街を形成していた〟とあるように、戦前の上海は特殊な街であった。中国の一部でありながら、数ヶ国が共同で治める共同租界と、フランス租界があり、欧米人が闊歩している。日本人の居住区もある。華やかな国際都市である一方で、犯罪やテロが横行。阿片が流通し、各国の陰謀も渦巻いている。なんとも多角的な魅力を持った場所なのである。 だからこそ一九三〇~四〇年代の上海を舞台にした小説が、日本でも少なからず執筆されている。咄嗟に思い浮かべるだけで、伴野朗の『上海スクランブル』、山崎洋子の『魔都上海オリエンタル・トパーズ』、上田早夕里の上海三部作『破滅の王』『ヘーゼルの密書』『上海灯蛾』などを挙げることができるのだ。そうした物語の系譜の最新作となる本書は、一九三六年、高峰虹子と名乗る女性が上海にやってきた場面から始まる。
【著者プロフィール】
ひずき優(ひずき・ゆう)
神奈川県出身。2007年「REAL×FAKE」(刊行時『キミのいる場所 -REAL×FAKE-』に改題)でロマン大賞を受賞し、デビュー。著書多数。