国は昔も今も我々を欺いてきた。

1972年、政府の隠蔽を告発し、国家によって葬られた西山太吉氏の足跡を追ったルポ。
西山氏本人ではなく、彼に近い二人の女性の視点から追うことで「沖縄密約問題」の核心を本質的にとらえる試み。
文庫化に当たりその後10年の顚末を追章として大幅書き下ろし!

米統治下にあった沖縄の返還を前に交わされた日米間の密約。それを告発した新聞記者の西山太吉氏。しかし女性事務官から機密を入手した取材手法に問題をすり替えられた。密約が米公文書によって裏付けられたのはそれから30年近く後。本書は西山氏の妻と弁護士、二人の視点から描くという独創的な切り口で、西山氏の功罪を照射する。沖縄の問題にとどまらない、政府の闇を暴くノンフィクション。

-本書の概要(『沖縄密約 ふたつの噓』はじめにより)-

はじめに  

かつて、「そらごと」という言葉があった。
 中身がからっぽ、というところから生まれたのだろうか、うそをこう呼んだのだという。古くは万葉集にも使われている。そして、それよりもはるか昔から、時代も国境も超えて、人は嘘を重ねてきた。
 嘘をめぐっては、作家の村上春樹氏に印象的なスピーチがある。
 社会の中の個人の自由のための優れた表現に贈られる「エルサレム賞」を受けた二〇〇九年二月、授賞式でこう語りかけた。
「私は一人の小説家として、ここエルサレム市にやってまいりました。言い換えるなら、上手な嘘をつくことを職業とするものとして、ということであります。
 もちろん、嘘をつくのは小説家ばかりではありません。ご存じのように政治家もしばしば嘘をつきます。外交官も軍人も嘘をつきます。中古自動車のセールスマンも肉屋も建築業者も嘘をつきます」
 ただ、小説家の嘘はほかの職業人とは異なるところがある。
「小説家のつく嘘が彼らのつく嘘と違う点は、嘘をつくことが道義的に非難されないところにあります。むしろ巧妙な大きな嘘をつけばつくほど、小説家は人々から賛辞を送られ、高い評価を受けることになります」
 小説家はうまい嘘、つまり本当のように見える虚構を創りだすことによって真実を別の場所に引っ張りだし、その姿に別の光をあてることができるからだ、という。
 そうであるならば、本当のことを見えにくくするために嘘をつくのが政治家ということになるかもしれない。嘘が明らかになっても認めようとしないどころか、事実を塗りつぶしてでも偽りを貫くことをいとわない。一部の政治家にとって、嘘とは目的を達するための手段のひとつにすぎないのだろう。
 しかし、それによってたしかに損われるものがある。

 一例に、米軍占領下にあった沖縄の返還をめぐる嘘がある。
 一九七二年、毎日新聞記者だった西にしやまきち氏(当時四十歳)が、外務省の女性事務官をそそのかして機密電信文を入手したとして、女性事務官とともに国家公務員法違反(そそのかし)で逮捕された。まもなく、ふたりが男女の関係にあったことが暴かれ、西山氏が問いただそうとしていた日米間の密約の問題はどこかに吹き飛んだ。
 公表されなければならない国家の秘密が伏せられ、本来、公にされるべきでない個人の秘密が公表された。佐藤(栄作)政権のもとでの見事なまでの「すりかえ」に、メディアも国民もだまされた。
 西山氏は会社を辞めてペンを折り、表舞台から消えた。結局、密約が問われることはなかった。
 非核三原則を掲げ、〝核抜き、本土並み〟のキャッチフレーズで沖縄返還を成し遂げた佐藤栄作・元首相はその二年後、日本人として初めてノーベル平和賞を受賞する。
 あの嘘はいったい、だれのためにあったのだろう。
 三十年近い時が流れてから、密約は裏づけられた。しかも、日本ではなく、交渉相手であるアメリカの公文書によってだった。佐藤氏はすでに他界し、日米同盟はいびつながらもきずなを強めているにもかかわらず、国は過ちを認めない。それどころか、臆面もなく「密約はない」と押しとおし、世紀を超えて嘘を重ねたのだ。
 それだけではない。国がなりふりかまわず覆い隠そうとしてきた密約には、単なる過去のできごとと片づけられない根深さがある。沖縄返還当時の財政負担をめぐる外交交渉のからくりは、いまなおくすぶりりつづける沖縄の基地問題にも影を落としている。
 あのときのきずはいまも、消えていない。
 これは、沖縄密約という国の嘘を前に、決して崩すことはできないように見えた厚い壁を前に、あきらめることなく挑みつづけた二人の女性の物語である。
 第一部では、西山氏の妻の半生をたどる。
 夫が逮捕されただけでなく、浮気をしていたことまで暴かれながら、別れを選ばなかった。社会的に抹殺されたに等しい夫を見守り、衝突を重ねながらも、ともに歩んできた。なぜ別れなかったのか。別れようとは思わなかったのか。だれにも打ち明けたことのない胸のうちを初めて明かす。
 第二部では、西山氏が「最後の戦い」として挑んだ情報公開請求訴訟(一審)で歴史的な判決を導きだした女性弁護士に光を当てる。
 情報公開のスペシャリストでもある彼女はこの訴訟を、西山氏という個人の名誉回復を超えて、この国にどこまで自由があるのかを測るリトマス試験紙と位置づけていた。それだけに、もし負けるようなことがあれば、情報公開訴訟から離れよう。ひそかに、そう思い定めていた。
 これはまた、不条理をめぐる物語ということもできるかもしれない。
 突如として降りかかった不運をどうすることもできず、思い描いていた人生の軌道が狂わされたとき、人はどう振る舞うのか。
 うつむいたまま逃げるのか、顔をあげて立ち上がるのか。あるいは、ただ時をやりすごすのか。逆境は、それぞれの美学をより鮮明に映しだす。
 どん底から抜けだすために、もしかしたら、人はやはり嘘を必要とするかもしれない。ありのままの現実から逃れて前に進むために。あるいは、嘘を嘘と知りながら自分を駆り立てるために。すべての嘘が悪いものとは限らない。
 ただ、国の嘘となると、意味合いは異なる。嘘をつくことがあっても、いつか嘘を嘘として認めることができなければ歴史はゆがめられ、「本当のこと」が消えてしまう。
 あの日から、三十八年。
 沖縄をめぐる「空言」のあとを追った。

(本文は敬称略)

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