「それゆえ、わたくしも正直に申し上げまする。実は婚儀の日を迎えるまで、怖くて仕方ありませんでした。わたくしはこれまで京から出たことはなく、しかも、お武家に嫁ぐと考えただけで眠れなくなるほどでありました。見知らぬ土地に嫁ぐという以上に、お相手が気難しい方であったならばどうしようと怖れておりました。不安だけが大きくなり、甲斐へ着くまでは息が詰まる思いでした。されど、最初の日に晴信様から言葉をかけていただいた後は、不思議なほど胸の動悸(どうき)がおさまりました。この御方ならば、わたくしを守ってくださる。訳もなく、さように思いました。そして、この三日間を過ごし、先ほどのお話で、その漠然とした思いが確信に変わりました」 瞳を潤ませ、慶子も正直に思いを吐露する。 蝋燭(ろうそく)のわずかな明かりに照らされたその面立ちを、晴信は改めて美しいと思う。 「そう言ってもらえると有り難い。本日から、よろしくお願いいたす」 晴信は慶子の右手を取り、両の掌(たなごころ)で挟む。 「……こちらこそ不束者(ふつつかもの)にござりますが、改めて、よろしくお願い申し上げまする」 二人は手を握り合ったまま、しばらく互いの顔を見つめていた。 「慶子殿、そろそろ横になろうか。そなたもだいぶお疲れであろう。それがしも少々くたびれたゆえ、今宵は心おきなく眠りたい。それがしは寝相が悪いゆえ、お望みならば、床を別にしても構わぬが?」 その問いに、慶子は恥ずかしそうに俯く。 「……一緒でも構わぬか?」 「……はい」 「さようか。この時期の甲斐は朝方冷えるゆえ、今夜は搔巻を着たままの方がよいかもしれぬ」 「はい、わかりました」 「では、お先に床へ」 「……はい、失礼いたしまする」 慶子は搔巻の前を合わせ、躊躇(ためら)いがちに蒲団へ入る。 それを確かめてから、晴信は搔巻を脱ぎ、隣へ滑り込む。慶子のほのかな温もりを感じながら、知らぬ間に眠りに吸い込まれていった。 翌朝、眼が覚めると、すでに慶子の姿はなかった。晴信が寝所を出ると、慶子が着替えて待っており、朝餉(あさげ)の支度が調(ととの)っていた。 こうして二人の新たな生活が始まった。 その日の午後、信方が今後のことについて報告にくる。 「若、お伝えしたきことが」 「なんであるか、板垣(いたがき)」 「常磐殿から申し入れがあり、若の身の回りの世話は御方様と常磐殿たち侍女に任せてほしいとのことでありました。断る理由もないゆえ、こちらとしては承諾いたしましたが、若や御方様の警固を含め、信房(のぶふさ)を近習頭(きんじゅうがしら)として付けることにいたしました」 信方は近習の中で最も若い教来石(きょうらいし)信房を側に配置したようだ。