第三章 出師挫折(すいしざせつ)2
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
翌日、信方は二日酔いの頭痛を抱えながら出仕する。
――昨夜は少し羽目を外しすぎたか……。
水をがぶ吞みしている執事の処(ところ)へ、晴信の近習頭(きんじゅうがしら)を務めるようになった教来石(きょうらいし)信房(のぶふさ)がやって来る。
「駿河守殿、御屋形様がお呼びにござりまする」
「……さようか。ちょうどよかった。それがしも若に話しておきたいことがあったゆえ、すぐに伺う」
信方は両手で頰を叩き、気合を入れ直した。
「ところで、信房。近習たちの様子はどうだ。うまくまとまっているか?」
「はい。荻原(おぎわら)殿のご指導の下、皆、まじめにやっておりまする」
教来石信房が笑顔で答える。
代替わりの後、信虎の近習頭であった荻原虎重(とらしげ)が世話役となり、近習頭の信房をはじめとした側近と小姓を指導するようになった。
晴信の側に侍(はべ)る者たちは、重臣の子息の中から選りすぐられ、小姓の頃から厳しく躾けられる。この見習いに上がるのは、早ければ齢(よわい)七ということもあった。
「そなたも精進し、奉行衆に上がってこい」
「はい。切磋琢磨(せっさたくま)いたしまする」
この年で齢二十七となった教来石信房は、そろそろ重臣の仲間入りをしてもおかしくない。
「そのためには、早く有能な後輩を育てることだ」
信方は若き近習頭の肩を叩く。
「御屋形様、駿河守殿がお出でになりました」
教来石信房は襖の前で跪(ひざまず)き、室内に声をかけた。
「入ってくれ」
晴信の声が響いてくる。
教来石信房は音もなく戸を引き、信方が入ると、再び音もなく閉めた。
「板垣、急に呼び出してすまぬな」
「いえ、それがしも若にお伝えしたいことがありましたので、ちょうどようござりました」
「そうであったか。なんの件であろうか?」
晴信が訊ねる。
「どうぞ、若から先にお話しくだされ」
「さようか……」
晴信は微(かす)かに眉をひそめながら言葉を続ける。
「……実は、禰々の件なのだがな」
――やはり、諏訪の件か。
そう思いながら、信方は晴信の話に耳を傾けた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。