よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)3

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 原昌俊は内政に関わる役割も多く、それをこなしているだけで、あっという間に時が過ぎてゆく。そんな中、諏訪からの返事が届かないことを訝(いぶか)しく思い、さらに機嫌伺いの品と書状を守矢頼真に届けさせた。
 しかし、「諏訪上社の大行事を目前に控えて忙しく、今はご期待に添えそうにない」という素気ない返事がきただけだった。 
 それを受け、原昌俊は信方に状況を伝える。
「書状のやり取りをしても、にべもない返答しか戻ってこない。このようなことはなかったし、どこか奇妙な感じがする。諏訪で何かが起こっているのやもしれぬ」
「昌俊、そなたがそう感じるのならば、異変が起きているのであろう。まずいな。このままだと、何も進展せぬまま禰々(ねね)様の御出産が迫るだけだ」
「こうなってくると、跡部の摑んだ諏訪と小笠原の和睦という話が真実味を帯びてくるな。そのために、わざと当家と距離を置いているのではないか?」
「ふぅむ……」
 信方は髭をしごきながら思案する。
「……やはり、諏訪と小笠原の件を若にお伝えしておくべきか」
「信方、そなたが御主君に余計な心配をさせたくないという気持ちはわかるが、事態はわれらが思うているよりも深刻なのかもしれぬ。晴信様にも早く懸念をお伝えし、用心するに越したことはない。それに加え、周囲の状況をもう一度摑み直す必要があるやもしれぬ。当代へ代わったことにより、明らかに信濃(しなの)で新しい動きが出てきていると見るべきだ」
「わかった。跡部にさらに詳細な諜知(ちょうち)を命じておこう。そなたは引き続き守矢殿との連絡を取ってくれぬか」
「承知した」
 原昌俊が頷く。
「それがしは若と話をしてくる」
 信方はさっそく晴信への報告に向かった。
 これまでの経緯を詳(つまび)らかに話し、重臣たちが共有した懸念を伝える。
「やはり、当家の代替わりを契機として諏訪にも不可解な動きが起きていると言わざるを得ませぬ」
「さようか。実は、こちらも同じようなことが起こっている」
 晴信は眉をひそめながら言葉を続ける。
「御方(おかた)が禰々に見舞いの品と書状を送ってくれたのだが、梨の礫(つぶて)なのだ。禰々の気性からすれば、すぐに礼状を送ってくるはずなのだが……。よほど具合が悪いのか、あるいは連絡を取ることを禁じられているのか、いずれにしても心配だ」
「連絡に関して頼重殿からの差し止めがあるとすれば、それは由々しき問題にござりまする」
「そうだな。……何の前触れもなく父上を隠居させた余に対し、娘婿として頼重殿が怒っているのやもしれぬ」
 晴信は顔をしかめて呟(つぶや)く。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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