第三章 出師挫折(すいしざせつ)12
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「さようか。板垣、そなたは、いつまでに諏訪へ戻らねばならぬのだ?」
「このところ状況は落ち着いておりますゆえ、新府で所用を済まし、四、五日のうちには戻ろうと思うておりまする」
「ならば、新府にいる間に、御方や太郎にも会いにきてくれ」
「えっ?……あ、わかりました。……有り難き、仕合わせ……」
「母上と禰々も呼んでやるか」
その言葉に、信方は少し違和感を覚える。
――若は色々と悩んでおられるのやもしれぬ。今さらながら、頼重殿の裏切りと自害が、われらに重くのしかかってくる。
そんなことを考えていた。
「では、本日の話は、これまでだな」
「御意!」
重臣たちは頭を下げてから、その場を後にした。
「信方、少しいいか」
原昌俊が呼び止める。
「おお、この身もそなたと話をしたいと思うていたところだ」
「ならば、それがしの屋敷に来てくれ」
「……わかった」
信方は原昌俊の屋敷に向かう。
思いの外、重々しい二人の気配を察し、甘利虎泰と原虎胤は無言でそれぞれの帰路についた。
屋敷に着いた二人は、さっそく話を始める。
「そなたの話とは?」
原昌俊が訊く。
「……いや、そっちの話から聞きたい」
「わかった。実は、於禰々様のことなのだ。こちらに戻ってから、ご体調がすぐれぬ。薬師(くすし)によれば、元々、産後の肥立ちが良くなかったようだが、新府にお戻りになられてからは心労のせいか、さらに食が細ってしまわれた。加えて、鬱(ふさ)ぎ込んでおられ、御屋形様とも会いたがらぬそうだ」
「先ほどのお話は、さような意味であったか……」
「これは、それがしの勘にすぎぬが……於禰々様は……頼重の自害のことを知ってしまったのではあるまいか」
昌俊は渋い表情になる。
「そのことは家中にも秘匿されていたはずではなかったのか」
「さようだ。……されど、どこからか立ち上る風聞までは封じることができぬ。何らかのきっかけで、それを耳にされてしまったのではないか。少々、強引に事を進めすぎたやもしれぬ。不覚であった」
「いや、頼重の自害は、われら四人で決めたことではないか。禍根を残さぬために、こたびはあの者を許さぬ、と。そなただけのせいではない」
「されど……」
「そなたは最も辛い役目を引き受けてくれただけだ。本来ならば、この身がやらねばならぬ汚れ役であった。……すまぬと思うておる」
信方は膝に両手を置き、深く頭を下げる。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。