第四章 万死一生(ばんしいっしょう)7
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「真田?……海野(うんの)の一族か?」
「さようにござりまする。信虎(のぶとら)様が小県へ攻め入った時、真田幸綱は海野棟綱(むねつな)の先陣大将を務めていたようにござりますが、吾妻(あがつま)へ敗走した後は海野棟綱と共に山内上杉(やまのうちうえすぎ)家の庇護(ひご)の下にあったとか。されど、先の河越(かわごえ)城の大敗により、山内上杉憲政(のりまさ)と海野棟綱を見限り、当家に加えてもらえぬかと禰津殿に頼んできたそうにござりまする。禰津殿曰(いわ)く、小県を中心に佐久や吾妻など上野(こうずけ)との国境の辺りも熟知している漢なので、こたびの志賀城攻めで腕試しの機会を与えてもらえぬかという申し入れにござりました」
「佐久の後は、すぐに小県の攻略となる。地勢を知る者がいるにこしたことはないが、その真田幸綱という者が山内上杉と手切(てぎれ)になっているという確証はあるのか?」
「それを確かめる意味で、まずは大井貞清の先鋒に真田幸綱を加えてみてはどうかと考えておりまする。この城攻めで突破口を開ければよし。もし、城方に討ち取られたとしても、当家に損害はありませぬ。さらに、山内上杉が出張ってきたならば、そこで先頭に立たせ、当家への忠誠を確かめればよいのではありませぬか」
「なるほど」
「禰津殿は真田幸綱を信頼できる武骨者と評しておりました。いったんは小県から追い出された相手の傘下に入りたいと願ってきたからには、それなりの覚悟と見受けまするが」
「よかろう。采配はそなたに預ける」
「お任せくださりませ!」
「本来の標的は、小県と村上(むらかみ)義清(よしきよ)だ。笠原清繁と志賀城は手早く片付けるぞ」
晴信は引き締まった表情で盃を干した。
閏七月に入り、諏訪で慌ただしく戦(いくさ)支度が進められる。
二十四日に先鋒の大井貞清が内山(うちやま)城を出立し、一里ほど北側に位置する志賀城へ向かった。この一軍には真田幸綱が率いる小隊と金掘(かねほり)衆が加わっていた。
翌日には晴信が内山城へ入り、信方と原(はら)虎胤(とらたね)の二隊が志賀城の包囲に加わり、金掘衆が敵城の水の手を断つことに成功する。
これにより、誘降を拒否して籠城した笠原清繁は一気に窮地へ陥った。
しかし、内山城から大井貞清の一軍が出立したことを知った直後、志賀城から数名の者が密かに東へ向かっていた。
西上野の平井(ひらい)城にいる関東管領(かんれい)に援軍を乞うためだった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。