第四章 万死一生(ばんしいっしょう)13
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
二月の朔日(ついたち)に諏訪(すわ)を出陣してから十二日目を迎えていたが合戦は膠着(こうちゃく)し、どちらかといえば敵の思惑に沿って進んでいる節がある。
それはあえて晴信が選んだ戦法であり、戦(いくさ)が長引くことを予想して輜重(しちょう)を整えることにした。大屋の後詰と諏訪の間を行き来する小荷駄隊を編制し、兵粮や薪を絶やさないようにしている。
信方(のぶかた)の率いる先陣は科野(しなの)総社に陣取り、西側の埴科(はにしな)郡に控えている村上(むらかみ)義清(よしきよ)の本隊に備えつつ、敵の伏兵が潜んでいそうな拠点を潰していた。
晴信の本隊も本陣とした国分寺の北側にある敵の拠点をいくつか潰し、本来の目的である砥石(といし)城の攻略に至る道筋を探っていた。
敵の伏兵を何度か討ち取っていたが、それは大した戦果に繋(つな)がらず、むしろ敵方の拠点を地道に潰していく下拵(したごしら)えの作業だった。
そんな最中に、まったく警戒していなかった後方を奇襲されたのである。何よりも自軍の退路側に敵の拠点が隠されていたということが、晴信に衝撃を与えていた。
「御屋形(おやかた)様!」
跡部(あとべ)信秋(のぶあき)が険しい面持ちで駆け寄る。
「伊賀守、話は聞いておるか?」
「はい。まさか、小荷駄隊が襲われるとは……。不覚にござりました」
「敵が潜んでいた場所に心当たりはあるか?」
「いいえ、ござりませぬ。神川の東岸周辺は、あらかた調べてありましたが、騎兵の一団を隠すような場所はなかったかと。されど、さらに東へ行った蒼久保(あおくぼ)という集落には、いくつかの寺社がありまする。われらが調べました時点では、敵の気配は微塵(みじん)もありませなんだが」
「裏をかかれたか」
「……申し訳ござりませぬ。すぐに先陣へ出ている物見の者を呼び寄せ、蒼久保の一帯からさらに北側を調べさせまする」
「すでに敵は退いた後であろうが、用心にこしたことはなかろう。敵がわれらの退路に割り込むことができるとわかった以上、これからの戦い方を見直さねばならないかもしれぬな」
「それにつきましては、それがしも思うところがありまする。神川の東側で敵が奇襲してきたということは、この近辺ではなく、奇襲を指図している根城があるということではありませぬか。それが砥石城だとは思えませぬ」
「そうかもしれぬな」
「ここに入ってから四阿山(あづまやま)の修験僧たちに与力を願い、地の者しか知らぬ拠点を洗い出してきました。その探索をさらに深め、われらの知らぬ根城を見つけねばならぬと思うておりまする」
「ならば、真田(さなだ)も加えた方がいいのではないか?」
その言葉に、跡部信秋が表情を曇らせる。
「……真田幸綱(ゆきつな)は諏訪からの輜重を担っておりますゆえ、残念ながら大屋におりませぬ。話は聞いておりますので、あとはわれらで最善を尽くしまする」
「さようか」
晴信が眉をひそめながら言葉を続ける。
「……それぞれの役割で動いているならば仕方があるまい」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。