第四章 万死一生(ばんしいっしょう)14
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「板垣(いたがき)からか。昌信、そなたも一緒に弥五郎の話を聞いておくがよい。戻り次第、鬼美濃に先陣の状況を伝えてくれ」
「はっ!」
香坂昌信が隣で片膝をついた初鹿野昌次の表情を確かめる。
「弥五郎、話を続けよ」
「はい。駿河守殿は四阿山(あずまやさん)の修験僧に協力を得て、尼ヶ淵砦の南西に位置します上田原と天白山の須々貴城に敵がいることを摑(つか)んでおりまする。すでに物見を放ち、上田原には村上の旗幟が林立する野戦陣があることを突き止めました」
「弥五郎、この駒で敵陣の場所を示せ」
信繁が数個の赤駒を渡す。
「はっ。まずは、ここが野戦陣にござりまする」
初鹿野昌次は千曲川から分かれた浦野川と産川に挟まれた平地に赤い丸駒を置く。
さらにその背後にある弓立神社、そこから山間に登った須々貴城にも駒を据え、その名を告げる。
「千曲川の対岸ということか!?」
晴信が眼を見開く。
「ならば、この須々貴城のある場所が天白山か?」
「はい。さようにござりまする。さらに山の西側に小泉上の城と下の城があるようで、この麓には室賀道が走っており、山裾をなぞるように進むと埴科の坂木に出ると修験僧が申しておりました」
「村上の本拠、葛尾城に繋がっているということか」
「はい、おそらく。それだけではなく、本陣の対岸にあります小牧山にも出城と砦があると」
昌次は小牧山に赤駒を置く。
「これらに眼を引きつけておき、南の山麓を廻り込んで依田川(よだがわ)を渡れば、後詰(ごづめ)がある大屋(おおや)の対岸にも出られると
「……北や東だけでなく、南や西にまで兵を隠しているというのか。いったい、どれほどの兵を率いてきたのか」
晴信は険しい持ちで地図を見つめる。
出陣してから初めて微かな不安を覚えていた。
- プロフィール
-
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。