よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)15

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「ええっ!?」
「兵部、ない頭で考えるより戦勘を鍛え、素早く動けるようになればよいのだ。理合に優れた主君の側には、猟師のように敵を狩れる将が必要だからだ。わかったか」
「よくわかり申した。ならば、ついでに美濃守殿の戦勘が示す敵の巣穴について、もう少しお聞かせくだされ」
「よかろう。耳の穴をかっぽじって聞くがよい」
「承知!」
「この蒼久保の一帯を嗅ぎ廻ってみたが、伏兵が潜んでいた痕跡が多すぎる。大小さまざまな寺社や建屋に篝火(かがりび)や焚火(たきび)の跡が残っておった。転々と場所を変えているにしても、あからさますぎる。つまり、それは獲物どもがわざと撒(ま)き散らした糞(くそ)にすぎぬ。われらの気をことさら東に向けて引こうとするための目眩(めくら)ましだ。それゆえ、眼をつけたのが意外に本陣と近い龍洞院であり、ここには実際にそこそこの敵兵が残っていた」
「さすがは、美濃守殿」
「世辞など挟まぬでよい! されど、捕らえた足軽を詮議しても、重要な話は何もなかった。元々、あ奴らには大事なことなど知らされておらぬのであろう。とにかく、東側を細かく移動することだけを命じられていた。そこで鼻が利いたわけだ。糞を撒き散らしていたのは、あ奴らなのかと。しかも、この龍洞院にそこそこの兵を溜めておいたのは、案外近くにまことの巣穴があるということではないか」
「……それは、どこに?」
「神川(かんがわ)沿いを北に登った辺りであろう。しかも、ひとつだけではなく、神川を挟んで双子のような陣構えになっているのではないか」
「なにゆえ、双子の陣だとおわかりになりました」
「だから、戦勘だと申しているではないか」
「それにしても……」
「われらの本陣、もしくは帰路を狙うならば、近い方がいいに決まっている。これまでのつまらぬ夜襲もすべて、われらの眼を晦(くら)ませるための罠だ。まあ、そのつまらぬ罠に引っかかったゆえ、ここまで引き摺(ず)り廻されているのだろうがな」
「では、神川沿いに北上すれば、敵の隠し砦があると?」
「それがしの戦勘は、さように囁いておる」
「ならば、この身に捜索をお任せいただけませぬか」
「いや、こたびはそれがしが動いた方がよかろう」
「されど、美濃守殿には本陣の近くにいていただいた方がよいのではありませぬか」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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